加瀬英明のコラム
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  現行憲法が外国製であることの“異常”さ
    Date : 2016/12/05 (Mon)
 日本が占領下で自由を奪われていた間に、外国によって銃口を突きつけられて、強要された現行憲法は、日本国憲法と呼ばれているが、「日本国」の名に価いしない。

 天皇は、日本国の「象徴」(第1条)と規定されているが、「日本国憲法」の原文である英語では、「シンボル」と書かれている。

 日本の憲法の原文が、外国語の英語だというのは、異常なことではないか。

 「異常」という言葉は、「体の異常を訴える」とか、「精神が異常だ」という意味で、用いられる。

 原文が外国語であるということだけとっても、今日の日本は異常である。

 「日本国憲法」が制定されるまでは、「菊花は御皇室の象徴である」というように、象徴という言葉はあったが、日本語で人間を指して、「象徴」という使用法はなかった。シンボルという原文を、他に訳しようがなかったからだった。

 現行憲法のなかで一つ、それまで日本語に存在しなかったのに、日本語として新しく造られた言葉が、用いられている。

 ブンミン――「文民」という言葉だ。憲法第66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と、定めている。

 軍人であってはならない、というのだ。第九条が軍隊を保有することを禁じているから、軍人がいるはずがないのに、このような条項があるのは奇妙なことだが、大慌てでつくった、お粗末な“即席憲法”であることを、示している。

 占領軍がつくった原文では、この「文民」に当たる言葉は、「シビリアン」である。ところが、それまで「シビリアン」には「市民」とか、「民間人」という訳語しかなかったので、法律の用語として適切でなかった。

 もし、現憲法を日本の手でつくって、制定したとすれば、それまで存在しなかった、新しい言葉を造って、用いることはなかっただろう。このこと、一つだけをとっても、現憲法が外国製であることが分かる。

 私は「象徴」という言葉を、それまでなかった用いかたをしたり、「文民」という新しい言葉を造ったことを、非難しているのではない。

 明治以後、「社会」「個人」「宗教」「指導者」「独裁者」や、「恋愛」という、それまで日本語のなかになかった、おびただしい数にのぼる新語――明治翻訳語と呼ばれる言葉――が造られては、日本語に仲間入りしている。

 私は本誌の前号で、日本はいま生きている日本国民のものだけではないと、訴えた。

 当然のことだが、2000年以上にわたって、日本列島に生を享けて、日本という国を創ってきた御先祖たちも、この国の主人である。

 日本国はこの瞬間だけ、存在しているのではない。父祖代々にわたる深い根がある。根のない国にしてはならない。
天皇が「日本国民の象徴」であるという時には、いま生きている日本国民の象徴であられるだけではなく、2000年以上にわたる日本国の象徴であられるのだ。

 昭和天皇は、今上陛下が御成婚になられた日に、「あなうれし神のみ前に 日の御子のいちせの契り結ぶこの朝」と、御製を詠まれている。天照大御神のお血筋を継がれていることを、祝われたのだった。


  東京五輪で「台湾」というもっとも大切な国とどう接するか
    Date : 2016/11/22 (Tue)
 日本の安全保障にとって、もっとも大切な国といったら、台湾だ。

 もし、台湾が敵性勢力によって支配されることがあったとしたら、その瞬間から日本の独立が、危ふくなってしまう。

 このところ、アメリカは中国によってすっかり幻惑されて、政権も、議会も、台湾へ眼を向けることがなくなった。

 日本と台湾との間は、日本にとって台湾がかけがえのない国だというのに、1972(昭和47)年に日中国交正常化を行った時に、台湾と国交を断絶して以来、公的なものではなく、民間の関係だとされている。

 それにもかかわらず、台湾国民は日本が大好きだ。毎年、台湾で行われている世論調査では、日本が毎年、「もっとも好ましい国」として、アメリカや、他の国を引き離して第1位を占めている。

 東日本大震災に当たって、台湾は300億円近い義捐金を贈ってくれたが、どの国よりも大きなものだった。それも、台湾政府によらずに、台湾の国民の募金によるものだった。

 台湾が中国によって呑み込まれることが、あってはならない。日本として公的な関係がないとしても、台湾を励まし続けなければならない。

 東京オリンピック・パラリンピック大会が、あと4年を割っている。

 台湾チームも、東京大会に参加するが、中国が国際オリンピック委員会にゴリ押しをしたために、これまでロンドン大会でも、リオ大会でも、「台湾」という国名を用いることが許されず、「チャイニーズ・タイペイ」という呼称を用いることを、強いられてきた。

 ところが、香港もオリンピック・パラリンピック大会に参加してきたが、「チャイニーズ・ホンコン」ではなく、「香港」という呼称を用いている。

 それだったら、なぜ、台湾が「台湾」として参加してはならないのだろうか。どうして、台湾だけが「チャイニーズ・タイペイ」という名称を、用いなければならないのか。理不尽なことである。

 オリンピック・パラリンピックは、政治闘争の場ではない。オリンピック憲章によって、政治を持ち込むことは、禁じられている。人類が政治を忘れて、スポーツで競う祭典であるはずだ。

 台湾という国は、現実に存在している。「チャイニーズ・タイペイ」は、偽称である。それに、どこを捜しても、そのような地名は世界のどこにも、存在していない。

 オリンピック・パラリンピックに、「台湾」として参加することは、台湾国民の夢であるはずと思う。

 日本は、2020年オリンピック・パラリンピック大会の主催国として、台湾を「台湾」の呼称で招くことができるように、努めるべきである。主催国である日本のオリンピック委員会と、主催都市の東京都が主張すれば、実現することができると思う。

 もし、台湾のアスリートたちが東京大会に、「チャイニーズ・タイペイ」としてではなく、「台湾」として参加することが実現すれば、台湾国民が東日本大震災に当たって、国民をあげて見舞ってくれたのに対する、御返しとなろう。

 日本は、台湾を見捨ててはならない。日本の安全保障にとって、どの国よりも重要だ。日本を見捨てることに、均しい。


  東アジアの平和に不可欠な日米同盟の深化
    Date : 2016/11/10 (Thu)
 アメリカの大統領選挙で、トランプ候補が勝った。これから日米関係が、どのように変わることになるのだろうか。

 私はトランプ氏か、ヒラリー夫人のいづれが勝とうが、アメリカの対日戦略にさほど大きな違いはないと、話してきた。アメリカは世界秩序を支えるのに疲れて、内へ籠りつつある。

 対日戦略をきめるのは、国務省ではない。国防省だ。

 9月後半に、国防省(ペンタゴン)の一行が北京へ赴く途中、東京に寄った。

 私は「オバマ大統領は、どうかしている。北朝鮮が5回目の核実験を行ったのに、『北朝鮮を核保有国として認めない』というのは、町で火事がはじまっているのに、『火災として認めない』というのに均しい。国連で茶飲み話に耽って明け暮れているが、何の役にも立たない」と、苦言を呈した。

 中国が裏で北朝鮮を援けているというのに、「制裁だ!」と、声だけを荒わげている。

 アメリカはイランから核合意を取りつけたが、必要なら、イランの核施設に「外科的攻撃(サージカル・ストライク)」を加えるといって、威嚇していた。

 大多数の日本国民も、マスコミも、北朝鮮の核実験に対して、具体的な対策をまったく示すことなく、野次馬のように騒ぐだけで、他人事のように扱っている。

 それに、中国が核ミサイルを日本へ向けて、展開しているのに、関心を示そうとしない。

 日本は中国、北朝鮮のミサイル基地を攻撃する能力を、まったく欠いている。ミサイルが日本へ飛んでくる時に、迎撃ミサイルは役立たないと、考えたほうがよい。

 千羽鶴を心をこめて折り、祈るだけでは、核攻撃を防ぐことは、とうていできない。

 私は習近平氏や、金正恩氏が、トルーマン大統領よりも善良で、人間味があってほしいと願っているが、願望でしかない。

 アメリカの“核の傘”を、盲信してはなるまい。

 日本が独自に核兵器を開発する、時間的な余裕はない。冷戦下で、西ドイツがソ連の核ミサイルに対抗するために、アメリカと交渉して、アメリカのソ連へ向けた戦術核ミサイルの発射ボタンを、米独共同で押せるようにしたのを、見習うべきだ。

 日本は自国と太平洋の防衛に、いっそう重要な役割を果たすことを、求められる。

 日本として、政府も、政界も、国民も、今後の日米同盟がどうあるべきか、真剣に考えなければならない。

 もはや日米関係は、惰性で動くことが、許されない。日米同盟こそ、日本の土台だ。

 1977年に、私は福田内閣の三原朝雄防衛庁長官から、日本にとって戦後最初の安全保障問題の民間研究所をつくるように、要請された。

 カーター大統領が選出されたばかりで、カーター候補は在韓米軍の完全撤退を、公約として掲げていた。日米同盟のありかたを見直すことが、急務となっていた。

 翌年、私が理事長となって、勝田吉太郎教授、加藤寛教授、来栖弘臣前統幕議長、三輪良雄元防衛事務次官などが理事、春日一幸、中曽根康弘、金丸信衆議院議員などを顧問として、日本安全保障研究センターが発足した。

 私は現行の日米安保条約が、1980年に20周年を迎えることから、両国で今後20年の同盟関係について研究する会議を、東京で開きたいと、考えた。三原前長官が委員長、岸信介元首相が名誉委員長に就任した。「日米安保条約締結20周年記念セミナー『日米同盟今後の20年』」が、1980年8月に2日にわたって催された。

 アメリカから、フォード元大統領を団長として、30人以上の上下院議員、州知事、元統合参謀本部議長、著名シンクタンクの所長が参加した。

 日米の防衛交流を、密接にしたい。


  自国の憲法の前に「アメリカ独立宣言文」を載せる『六法全書』
    Date : 2016/11/04 (Fri)
 年とともに法律の数が増えてゆくので、私は15、6年に1度か、『六法全書』の新刊を買い足してきた。

 いま手元に、平成18年版の有斐閣『六法全書』がある。

 「まさか」と思ったが、やはり日本国憲法の前の扉のページに、「アメリカ独立宣言文」が全文、英語と日本語訳で載っていた。

 有斐閣といえば、日本の代表的な出版社である。

 昭和23(1948)年の『六法全書』初版本に、日本国憲法の前の扉に「アメリカ独立宣言文」が載っていたが、占領下だったから、仕方がないと思っていた。

 ところが、日本が講和条約によって独立を回復した後も、長いあいだ、「アメリカ独立宣言文」が、削除されることがなかった。

 平成18年版には、もう、ないだろうと思ったから、確めるのを怠っていたが、日本国憲法の前に「アメリカ独立宣言文」があった。

 私は暗然とした。いったい、どこの国が自国の憲法の前に、外国の独立宣言文を載せるものだろうか?

 「アメリカ独立宣言文」は、アメリカの3代大統領となった、トマス・ジェファーソンによって起草された。ジェファーソンは荘園主で、200人以上の黒人奴隷を所有していた。

 ジェファーソンは、農場で黒人奴隷が鞭打たれて、悲鳴をあげる声を聞きながら、独立宣言文を書いたのだった。

 アメリカの初代大統領となった、ジョージ・ワシントンも荘園主で、多数の奴隷を所有して、売買していた。そんな人たちが発した独立宣言文は罪業が深いもので、私たちがとうてい手本とすべきでない。

 アメリカは日本国憲法を占領下で強要したが、日本から未来永劫にわたって独立を奪って、日本を属国にすることをはかった。奴隷の手枷(てかせ)足枷(あしかせ)のようなものだ。

 平成18年版に、10人が編集委員として、名を連ねている。9人が東京大学教授で、1人が明治大学教授だ。日本人として恥しい。

 アメリカは日本国憲法を強要することによって、日本人から精神を奪うことを狙った。

 それとも、10人の教授はこの日本がアメリカの占領下で建国されたと、錯覚しているのだろうか。

 日本国憲法は、前文で「ここに主権が国民に属することを宣言し」と謳(うた)って、第1章第1条で、「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と、定めている。

 この「国民主権」という言葉は、正体が怪しく、いかがわしいものだ。

 いったい、私たちの日本は、いま生きている日本国民だけのものなのか。いま生きている者だけで自由にして、よいものだろうか。

 日本は2600年以上にわたる、古い歴史を持っている。この日本は、この国を築いてくれた先祖たちのものでも、あるはずだ。

 日本国憲法が、日本を日本をたらしめているのではない。先人たちの努力が積み重ねられて、今日の日本がある。

 アメリカによる軍事占領と、占領下で国際法に違反して押し付けた日本国憲法は、日本が大戦に敗れた昭和20年8月以前の日本を消し去って、根のない国に変えようとしたものだった。

 日本が痴呆症の国となっては、なるまい。


  すべってころんで 山がひっそり高齢社会を考える
    Date : 2016/10/31 (Mon)
 75歳の誕生日を迎えてから、ほどなく4年目が過ぎようとしているが、実感がない。

 だが、草原のライオンも、イエネズミも、自分の年齢を知らないし、知ろうとしない。

 私には動物の逞しさが、身についているのだろう。

 それでも、休む間がない。先日、月刊『HANADA』の花田紀凱氏と会ったところ、「引退したら、どう毎日を過したらよいのか、分からない」と、同意してくれた。花田氏も70代になった。

 『労働経済白書』が求めていること

 9月に、厚生労働省が『労働経済白書』を発表したが、少子高齢化による労働力不足を解消するために、「今後増え続ける高齢者の就労が重要」だとして、高齢者の労働市場参加を促す環境づくりをすることが必要だと、述べている。

 60歳以上の人口が、この10年間で937万人から、1264万人に増えたという。

 これまで振り返ると、凡倉(ぼんくら)が山道をのぼったり、降りたりしてきたが、「すべってころんで 山がひっそり」という山頭火の句がぴったりする。

 生きることは生かされること

 私は無為を勧める老子に憧れてきたが、無為徒食という訳にゆかないので、物書きとして糊口の道を選ばざるをえなかった。

 鳥は向い風があるから飛べるが、荊妻(けいさい)を養い、食扶持(くいぶち)を稼ぐために、締め切りの強風に立ち向う、繰り返しだ。

 荊妻は、西晋の皇甫謐(216年〜284年)の『烈女伝』にでてくる美談だが、後漢の文人だった梁鴻(りょうこう)の妻が、夫に負担をかけてはならないと思って、飾ることなく、庭先で摘んだ荊(いばら)を簪(かんざし)として、いつも髪にさしていたことに因(ちな)んでいる。

 凡倉はぼんやりしていて、世事に昏(くら)いことをいう。世事に昏いから、毎日、学ばなければならない。一日向上しなければ、一日退歩する。

 凡倉に生まれついているのは、天の恵みだ。

 幼な兒がはじめて目を大きく開いて、目の前にひろがる世界を見るたびに、新鮮な発見をして喜ぶように、退屈することがない。

 だから、休む暇がない。

 レールからの解放

 この春に、自民党の委員会の「2020年以降の経済財政構想小委員会」が、今後のあるべき社会を討議して、『レールからの解放――22世紀へ。人口減少を強みに変える、新たな社会モデルを目指して』という、報告書を発表した。

 この報告書によれば、これまで国民の大多数が終身雇用制度のもとで、「20年学び、40年働き、20年休む」のが、常態であってきたらしい。

 20年休むだって? いったい、この小委員会は、どのようなメンバーを集めたのだろうか、知りたいものだ。

 だが、そんな銀の匙(シルバー・スプーン)ならない、銀のレールのうえを、快(こころよ)く揺られながら走ってきた者は、国民のほんの一部でしかないはずだ。

 自民党のレポートは、22世紀を論じているから、慌てふためかなくてもよいだろう。

 働くかぎり青春が続く

 ちょうど、月刊『文藝春秋』10月号が送られてきたので、ページをめくっていたら、「将来、日本から『正社員』が消える」という見出しが、目に入った。

 将来というと、もっと間近だ。そうなると、正社員として禄を食んでいる人々や、正社員を目指す人々にとっては、深刻な問題だろう。

 銀のレールの上を走りたいというのも、山道を歩もうというのも、人それぞれ好みによるものだ。

 だが、人生は転ばなければ、掴めないものも、たくさんある。

 法華経は、凡夫を「凡夫浅識」といって、慾望に駆られるために迷い、悟りをえることができない愚かな人として見下しているが、私はもっともっと働いて、いつか妻に感謝して、荊にかえて、銀の簪を買ってやりたいと思っているから、あと10年か、20年は、凡夫でいたい。

 65歳から老人だというが

 9月に「敬老の日」が巡ってきた。65歳から、老人になるという。

 このごろ、日本では「父の日」とか、「母の日」とか、「豆腐の日」「眼鏡の日」「食パンの日」とか、毎日が何かの日となっている。

 かつては、老人や、父母は、毎日敬われたから、そのような日は必要なかった。

 清少納言の『枕草子』に、「ただ過ぐるもの」として、「帆をあげた船、人の齢(よわい)、春夏秋冬」とあるのを、思い出した。

 どうして「敬老の日」を、秋に据えたのだろうか。春にしてほしい。

 先の報告書に戻ると、「20年休む」というが、いったい、どうやって休むのだろうか?
 
 忙しいなかで休むのは楽しいが、来る日も来る日も、四六時中休んでばかりいたら、休むことができるものだろうか。

 このごろの夫婦は、名勝を巡ったり、クルーズ、海外へ観光旅行へ出かけたりして、散財を楽しむようだ。

 いつのまにか、労働者がいなくなって、全員が消費者になった。経済を優先して、人までが消費されている。

 自分まで消費してしまってよいか

 先進経済諸国では、あらゆるものに値札がついている。あらゆるものの価値が、金(かね)の多寡(たか)によってはかられる。

 だが、シャンデリアが下っている高級クラブで、1瓶10数万円もするブランデーをのんだり、客単価が3、4万円もするようなレストランで食事をして、いま、自分が贅沢をしていると思うほど、貧しいことはないだろう。これほど、寒(さ)む寒(ざ)むしいことはない。

 贅沢をしても、そう感じないことが、ほんとうの贅沢だ。妻に「お休み」をいう時、2人で茶を喫する時、これ以上の贅沢はない。

 たまに茶屋に遊びにいっても、目もとの涼しい芸妓がいなくなった。だが、芸事に励(いそし)んでいるのが、嬉しい。

 家庭安楽は安心が与える

 銀座の高級クラブには、誘われないかぎり、足が遠のいている。30年前よりも、ホステスの化粧がうまくなったが、シロウトの女性と同じように、表情が険しくなった。

 家にいるほうが、楽しい。

 やはり、タダのものがよい。

 テレビや、CMや、雑誌が、大企業の金儲けのために都合のよい客観ばかりによって、人々の頭をみたしてゆく。客観ばかりに身を委ねると、自分を失ってしまう。無目的な動によって、支配されてはなるまい。

 人の心の働き――主観のほうが、尊いはずだと思う。

 秋だ。昨日は、庭で鈴虫が鳴いていた。
「鈴虫が声かりたつる秋の夜は あわれにもののなりまさるかな」と、和泉式部が嘆いている。

 『万葉集』『古今和歌集』をはじめとする歌集を、古典だと思ってはならない。そう思った瞬間に、歌が生命(いのち)を失う。私にとって、額田王(ぬかたのおおきみ)や和泉式部は、同世代の人だ。

 原稿に向かう筆を休めると、白楽天(772年〜846年)が、「秋来 タダ一人ノタメニ長シ」と、耳もとで囁く。

 しばし、まどろむ。『ドンキ・ホーテ』のセルバンテスが、「眠れば、帝王も牧童も平等」と、述べている。16世紀の人だ。

 主観を大切にしよう

 同じ眠りでも、『百人一首』のなかで小野小町が、「夢と知りせば覚めざらしを」と歌っている。

 やはり、日本文化のほうが洗練されている。

 古人が「秋寒(あきさむ) ややさむき 夜寒(よざむ)など」と詠じている。

 今夜は、秋雨が降っている。風や、雨にも、想いを寄せる。

 庭先の梢から、玉の滴(しずく)が落ちている。和泉式部が限りない恋慕を、「身を知る雨と思いけるかな」と、訴えている。


  日本国民にとって他人事ではない 北朝鮮の核ミサイル実験
    Date : 2016/10/26 (Wed)
 9月後半に、国防省(ペンタゴン)の一行が北京へ赴く途中、東京に1泊で寄って、出発する朝にわが家で朝食をとった。

 私は「オバマ大統領は、まったくどうかしている。北朝鮮が第5回目の核実験を行ったのに、『北朝鮮を核保有国として認めない』というのは、町のなかでボヤがはじまっているのに、『火事として認めない』というのに均しい。国連というカフェで、北に対する制裁を強化するという、お茶飲み話に明け暮れているが、何の役にも立たない」と、苦言を呈した。

 アメリカは、イランが核兵器開発を進めているのに対して、核合意を行って、イランが核兵器開発を行わないことを約束したが、そのあいだ必要があれば、イランの核施設に「外科的攻撃(サージカル・ストライク)」を加えるといって、威嚇していた。ところが、中国が裏で北朝鮮を援けているのに、北朝鮮に対して「許せない! 制裁! 制裁!」と、声だけ荒げている。

 インドは1962年に、周恩来の『平和五原則』によって騙されて、国境の警備を疎かにしたところ、人民解放軍によって急襲されて、今日に至るまで九州よりも大きな国土を、奪われている。

 インドにとって、中国は宿敵だ。そのためにインドは中国の核に対して、自前の核兵器の開発に力を注いだ。

 1998年に、フェルナンデス国防相のもとで、努力が実を結んで、インドは核保有国となった。

 私はその直後にインドに招かれて、フェルナンデス国防相を壮麗な国防省の大臣室にたずねた。

 その前に訪れた時には、広い大臣室の壁にガンジー翁の写真が、1枚だけ飾られていたのに、広島の原爆ドームのカラーのパネル写真が、かけられていた。

 国防相が「なぜ、この写真があるか、分かりますか」とたずねるので、「核を持っていないと、このように核攻撃を誘うことになるということを、示すためでしよう」と答えると、「その通りだ」と微笑って頷いた。

 この後、人民解放軍が国境に侵入して、小競り合いが頻発しているものの、大規模な衝突に発展することはない。

 パキスタンも、核武装した。そのために本格的な印パ戦争が起ることは、考えられない。

 双方が核を持てば、抑止力が働いて、その地域が安定することを、証している。

 大多数の日本国民は、北朝鮮の核ミサイル実験に対して、具体的な対策についていささかも考えることなく、野次馬のように空ら騒ぎするだけで、他人事のように扱っている。マスコミも同じことだ。

 それに、中国が核ミサイルを百基以上も日本へ照準を合わせて、展開しているのにもかかわらず、関心を示そうとしない。

 日本は中国、北朝鮮の核ミサイルであれ、発射基地を攻撃する能力を、まったく欠いている。

 ミサイルが日本へ向けて飛んでくる時に、迎撃ミサイルがあっても、撃ち洩らすから、役に立たないと考えたほうがよい。

 アメリカの“核の傘”を、盲信することはできない。他人まかせにしてはならない。

 私は習近平氏や、金正恩氏が、トルーマン大統領よりも善良で、人間味があるはずだと信じたいが、残念なことに、そのような保証はどこにもない。


  平和憲法が作り出す安全という仮想空間
    Date : 2016/10/07 (Fri)
 リオ・オリンピック大会の閉会式で、和服姿の小池都知事が五輪旗を受け取った後に、スクリーンにスーパーマリオと、ドラエモンが映しだされた。

 映像のマリオが、赤い球を投げた。すると、マリオの縫い包みに入った、安倍首相がせりあがってきて、衣裳を脱ぐと手にした赤い球を高く掲げて、満場の喝采を浴びた。

 この寸劇によって、全世界にわたって、安倍首相のイメージが親しみがある、きわめてよいものとなった。

 世界のマスコミが、安倍首相を「アベ・マリオ」と、呼ぶようになった。「アベ・マリオ」は、分かりにくい「アベノミクス」よりも、日本に対する好感度を増すのに、大きく役立った。

 戦前、日本は「フジヤマ、ゲイシャ、サムライ」と、安物の製品によって知られていたが、この30年以上、日本のアニメが世界を制するようになっている。

 トヨタ、キャノンからソニーまで、夥しい数にのぼる企業名や、カラオケ、スシ、シンカンセン、ゼン(禅)、ゴ(囲碁)、ジュード―、カラテをはじめとする多くの日本語が、日常会話の仲間入りするようになった。

 なかでも、どうして日本発のアニメが世界を制しているのだろうか。マンガmanga(日本ではコミック)と、エモジemojiが、そのまま日本語で全世界で通用している。

 神道がそのもととなっている。神道は多神教であって、万物に神が宿ることから、アニミズム(精霊信仰)と呼ばれる。

 アニミズムはラテン語のアニマ(anima)から、発している。アニマは息、風、生命を意味している。アニメは、スマホや、テレビ、ハイテクのような和製英語だが、「アニメーション」のもとの語源は、アニマだ。

 日本生まれのポケモン・ゴーが、全世界で流行している。Pokémon GOと書かれる。

 親しいアメリカの友人が、ニューヨークから来て、ポケモン・ゴーを手に妖精を追っかけている若者や、中年男女でセントラル公園(パーク)から五番街(フィフス・アベニュー)まで、いっぱいだといった。

 イギリスの新聞が、ロンドン中心の公園のハイドパークから、トラファルガー広場(スクエア)まで、ポケモンに興ずる男女によって、埋められていると、報じている。イランではポケモンがイスラムの戒律(ハラル)に反するといって、禁じられている。

 宮崎駿監督の『もののけ姫』は、神道の世界だ。神があらゆる自然に、ひそんでいる。

 いま、西洋文明が行き詰るようになった。人間だけが主人公で、自然は征服されるべき対象である。一神教は自己中心で、歴史を通じて対立と抗争をもたらしてきた。

 日本には人間対自然という、発想がない。だから明治に入るまで、「自然」という言葉が存在しなかった。明治翻訳語の一つである。

 日本文化は人もその一員である自然が、多様だという前提に立っているから、やさしい。人類倫理にかなっている。

 といっても、私はポケモン・ゴーをはじめとする仮想空間――バーチュアル・リアリティのゲームは、おぞましいと思う。

 私は子供のころに、お伽話(とぎばなし)を世界の現実を知る手立てとして、胸をときめかして読んだものだった。

 だが、ポケモン・ゴーなどのゲームに熱中すると、現実から仮想空間へ逃避して、世界の主人公となった妄想に、浸ることになる。相模原で19人の身障者を殺戮した犯人も、人気女優の息子で、強姦事件を起した若い俳優も、このような仮想空間の主人公だった。

 リオで熱戦が進んでいたあいだに、終戦記念日が巡ってきた。新聞がいつものように、「平和の誓いあらたに」という見出しを組んだ。

 日本国民の多くが、平和憲法さえあれば日本は安全だという、夢遊病者のような仮想空間の主人公となっている。


  日米戦争の責任は一方的にアメリカにある
    Date : 2016/10/04 (Tue)
 8月に、トランプ共和党大統領候補が、「アメリカは日本を守る義務を負っているのに、日本はアメリカを守る義務を負っていない。日本が攻撃を蒙った時に、日本国民はソニーのテレビで、われわれの青年たちが血を流すところを、高見の見物する」と、演説した。

 すると、バイデン副大統領が「アメリカは占領下で、日本に軍隊を持つことを禁じる憲法を持たせた。(トランプ氏は)それを、学校で習わなかったのか」と、反論した。

 それに対して、ワシントンの日本大使館が「アメリカは現行憲法の原案を日本に提示したが、帝国議会の十分な審議を経たうえで施行された」という、短いコメントを発表した。

 民進党の岡田克也代表も、「アメリカが書いたというのは、副大統領として不適切な発言だ。最終的には、国会で議論して、つくった」と、批判した。

 7月に参議院議員選挙が行われたが、明らかに違憲だった。

 憲法第7条4項は、国会議員は総選挙によって選ばれると、明記している。参院選挙は総選挙ではなく、半数しか選出しない。

 現行憲法には、このような杜撰な誤りが多い。帝国議会で十分な審議が行われることが、なかったからである。

 いったい、日本の憲法学者は、第7条を読んだことがあるのだろうか。護憲派の国民も、日本国憲法を読んでいない。読んでいるのならば、せめて第7条だけでも正そうとしたはずだ。

 今年も、また夏が巡ってきた。そのたびに、71年前の戦争を戦ったことが、大きな誤りだったとして、再び戦争の惨禍を招いてはならないと、誓うことが行われた。

 アメリカが占領下で日本に強要した現憲法は、前文のなかで「政府の行為によって再び戦争が起ることのないようにするために(略)この憲法を確定する」と述べることによって、日本に先の戦争の責任をすべて負わせている。

 日本国憲法は、東京裁判と並んで、日本国民に日本が戦争犯罪国家であることを、刷り込むために、日本に押しつけられた。

 天皇陛下が毎年、8月15日の全国戦没者追悼式典のお言葉のなかで、先の戦争について、「深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願う」と、述べられる。英霊が犬死したと仰言せられたのに均しいが、昭和天皇の開戦の詔勅を否定なさらねばならないのは、お痛ましいことである。国民として恐懼(きょうく)に堪えない。しかし、象徴としてのお立場から、現憲法を遵守されなければならないから、仕方がなかろう。

 だが、アメリカでも、先の日米戦争が、日本に強いられたのであり、その責任が一方的にアメリカにあるという有力な証言もある。

 その1人が、ルーズベルト大統領の前任者だった、ハーバード・フーバー大統領だ。回想録のなかで占領下の日本を訪れて、マッカーサー元帥と3回にわたって会談したが、「日米戦争の責任は、ルーズベルトというたった1人の狂人(マッドマン)にある」と述べたところ、マッカーサーが賛成したと、記している。

 私は日本が先の戦争を戦ったことを、肯定している。もし、眉を顰められる読者がおいでならば、『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』(勉誠出版社、2016年)を、お読みいただきたい。私が序文を寄せている。


  三度、核攻撃を招いてよいのだろうか
    Date : 2016/09/23 (Fri)
 9月に北朝鮮が5回目の核実験を行なった。

 テレビや新聞の報道によれば、6回目の核実験の準備も進めているという。

 今年も8月に、安倍総理が広島と長崎を訪れて、霊前で「非核三原則」を守ることを誓った。

 例年のように、祈りをこめた千羽鶴が、奉納された。

 このように一心に平和を願うことによって、核攻撃の惨禍を三度(みたび)招くことを、防ぐことができれば、これ以上、幸せなことはないと思う。

 原爆によって、広島、長崎は都市ぐるみ、一瞬のうちに業火に包まれた。

 私は原爆投下直後に、広島に救援のために入った、部隊の将校や兵士から話をきいたことがある。焼け爛れた犠牲者たちが口々に、「兵隊さん! この仇をとって下さい!」と訴えたといった。

 先の戦争では、政府も、軍部も、敗れた日まで現実を直視することなく、「無敵日本」とか、「神州不滅」と唱えて、国をあげて精神力を重んじた。

 いったい、その結果は、どうだったのだろうか。平和を祈る精神力が何よりも勝るという、今日の国民的な合意と、まったく変わるところがなかったのではないか。

 トランプ共和党大統領候補が集会で、「アメリカは日本を守ることを義務づけられているのに、日本はアメリカを守る義務を負っていない。日本が外から攻撃を蒙った時に、日本国民はソニーのテレビで、われわれの青年たちが血を流すところを、見物することになる」と演説したところ、バイデン副大統領が「アメリカは占領下で、日本に軍隊を持つことを禁じる憲法を持たせた」と、反論した。

 それに対して、ワシントンの日本大使館が「アメリカは現行憲法の原案を日本に提示したが、帝国議会の十分な審議を経たうえで施行された」というコメントを、発表した。

 7月の参議院議員選挙は、明らかに違憲だった。憲法第7条4項は、国会議員は総選挙によって選ばれると明記している。参院選挙は総選挙ではなく、半数しか選出しない。

 現行憲法には、このような杜撰な誤りが多い。帝国議会で十分な審議が行われなかったからだ。

 現実を直視したら、帝国議会によって十分な審議が行われたという嘘は、つけまい。

 私はもう40年も、アメリカの“核の傘”は信頼できないと、書いてきた。

 歴史を振り返ると、同盟関係と、保護国と被爆国の関係は、平時においては抑止力となるが、有事には力が強いほうの同盟国か、保護国のその時の都合によって、保障が違えられるものだ。

 アメリカが自国の都市を犠牲にしてまで、日本のために核兵器を使ってくれるだろうか。

 核廃絶を真心をこめて主張し、「ノー・モア・ヒロシマ」「非核三原則」を唱え続ければ、日本が3回目の核攻撃を蒙ることがないと信じていれば、安心できるのだろうか。

 私には、習近平氏、金正恩氏が、トルーマン大統領よりも、善良な人だと信じることができない。

 広島の平和記念碑に「過ちは二度と繰り返しません」と、刻まれている。

 第1次安倍内閣時に、久間章生(あきお)防衛大臣が「原爆投下は仕方がなかった」と語ったために、辞任したことがあった。

 万一、日本に三度(みたび)核攻撃が加えられることがあった場合に、また平和記念碑に同じ碑文を刻み、閣僚が「核攻撃は仕方がなかった」と、口走ることになるのだろうか。それほど、平和運動は尊いものだろうかと、思う。


  なぜ、いま私たちは標準語を話しているのか
    Date : 2016/08/31 (Wed)
 私は東京で生まれて、戦後、鎌倉で育ったから、東京育ちのようなものだ。

 30代に入ってから、全国から講演のために招かれるようになったが、地方で方言に接するたびに、標準語しか知らないことに、肩身が狭い思いを味わってきた。

 標準語は明治に入ってから造られたものだから、私は東京育ちの父についで、標準語しか知らない2代目となる。30代か、40代の時に、明治時代に出版された本のなかに、「方言は心のゆくままに打ち出るもの」であると、書かれているのを読んだ。

 地方の人々が、方言で話しているのを聞くと、羨ましかった。そんな時には、標準語には心が籠っていないと思って、劣等感に苛(さいな)まされた。森鴎外が「国もの同志で国詞(くにことば)を使ふのは固(もと)より当然である」(『ヰタ・セクスリアス』)と、書いている。

 7月末に、富山県の氷見(ひみ)に招かれた。翌日が、東京都知事選の投票日だった。富山湾を一望に収める、風光明媚な郷だ。夕食会の席上で、私はお国言葉についてたずねた。

 すると、「ここでは、『奢(おご)ってあげるから、ついていらっしゃい』という時に、『だいてやるから、ついてこい』といいます。東京で女性にそういったら、きっと、セクハラで訴えられますね。もし、鳥越俊太郎氏が当地の出身だったとしたら、問題がなかったでしようが」といって、笑った。

 翌日、私は鹿児島の霧島を訪れて、1泊した。私の母方の祖々父の出身地になるが、「前へ進め!」を「まいかんか!」、「停まれ!」は「いやんせ!」という。

 写真を撮られると、魂が抜かれる

 都知事選は、小池百合子氏が291万票、増田寛也氏が179万票を獲ったのに対して、鳥越氏が134万票という惨敗だった。

 鳥越氏は知事選に出馬するのに当たって、記者会見の場で「参院選によって、憲法改正が射程に入ったことがわかった。改憲の流れを阻止しよう」と、護憲と反原発を訴えた。

 都政についての抱負を聞きたかったところだったので、私は耳を疑った。

 幼かったころだったが、老人たちから「写真を撮られると、魂を抜かれてしまう」と、しばしば聞かされたものだった。私は長いあいだ信じなかったが、ほとんどのテレビのキャスターが、カメラによって脳髄を吸い取られてしまうから、今では老人たちが正しかったと、思っている。

 鳥越氏が惨敗したのは、民進党が有権者からいっそう見離されたことを、示していよう。民進党には友人が多いので、日本社会党と同じ道を辿るのではないか、心配だ。

 私はテレビを好まないから、ごくたまにしか見ないが、鳥越氏がテレビの人気キャスターだったことは知っていた。鳥越氏がしばらく前にテレビで、「中国や、北朝鮮が日本を攻撃することはありえない」と、真顔でいうのを聞いて、あらためてカメラの恐ろしさに戦いたものだった。

 護憲派は現実を無視して、信仰を重んじるから、狂信的な信者である。だが、本来、宗教は現世で人を守ってくれるものである。このような者が、政治にかかわるべきでない。

 護憲派は日本国憲法を、後世大事にしているように見せかけているが、現行憲法を大切にしていない。

 参議院議員選挙は違憲ではないのか

 7月の参議院議員選挙は、憲法違反だった。憲法第7条の4項を読むと、国会議員は総選挙によって選ばれると、明記している。総選挙は議員全員を選挙する。ところが、参議院議員選挙では議員の半数しか、改選しない。

 アメリカが強要した原案が一院制になっていたのを、日本側が泣きついて、二院制になったものの、大急ぎで翻訳したために、第7条をうっかり、そのままにしてしまったためである。アメリカは一院制でも二院制でも、どうでもよかった。

 憲法を大切にするのならば、なぜ、これまで第7条を改めなかったのか。現憲法にはこの他にも、杜撰な誤りが多くある。

 占領軍が日本国憲法を強要したのは、まさか、日本のためを慮(おもんばか)ったからではなかった。 

 日本から国防権を奪うことによって、永久に無力化して、アメリカの隷属国とすることをはかったのだった。歴史を振り返れば、ある国の独立を奪うとする場合には、国防権を剥奪するものだ。今も昔も、弱肉強食の掟が世界を支配していることに、変わりがない。

 幕末にペリー艦隊が来寇してから、日本は米欧列強の圧倒的な武力を前にして、夷狄を打ち払う小攘夷か、開港する大攘夷を選択することを、強いられた。

 文明開化は日本に何をもたらしたか

 日本は西洋列強に対抗するために、心ならずも文明開化を進めた。

 そのかたわら、一連の屈辱的な不平等条約を強いられていたから、不平等条約を改正することが、国をあげて悲願となった。

 当時の世界では、西洋の文化文明だけが真っ当なものとされていたから、不平等条約改正のためには、西洋を模倣しなければならなかった。

 今日でも、国賓を迎えて催される宮中晩餐会において、フランス料理が供されるが、その名残である。

 今日、韓国では国賓を迎えて、青瓦台で韓国料理が、中国では人民大会堂で中華料理、タイではタイ料理、インドではインド料理、ホワイトハウスではアメリカ料理が振る舞われる。新宮殿の豊明殿でフランス料理が供されるのは、不平等条約の爪痕だ。

 鹿鳴館をつくって、顕官たちが妻妾を連れて、仮装舞踏会のステップを踏んだのも、葬式に当たって白衣を着ていたのを、政府が野蛮国だとみられてはならないように全国に通達を発して、黒を着るように命じたのも、不平等条約改正のためだった。

 文科省が明治初年に全国の女子学生に、立ち小便することを禁じる通達を、発している。女性の立ち小便は、朝鮮半島や、中国にない習慣だが、インドネシアなどにある。私は戦時中に長野県に疎開したが、農婦が畦道で立ち小便するのを、よく見かけたものだった。

 独立を全うするために、一日も早く近代的な軍隊を、創建しなければならなかった。
 
 そこで、国語と呼ぶようになった標準語を造った。武士は嗜みとして、能楽の謡曲に親しんでいたから、江戸に上っても意志を通じあえたが、庶民は全国にわたって、国言葉しか知らなかった。

 薩摩人の将校が先頭に立って、「まいかんか!」、「いやんせ!」と、号令を叫んでみても、全国から徴集された庶民兵には、それぞれの国言葉で「わがんね」といって、何のことやら理解できなかった。

 なぜ、日本人は摺り足で歩かなくなったのか

 そのために、政府によって国民の共通語として、標準語が造られた。

 それまで、日本人は両足をやや広げて、前屈みになって立った。陸軍が雇ってきたフランスの軍事顧問団が踵(かかと)をつけて、直立不動の姿勢をとることを、教えた。また、全国民が草履をはいて摺り足で歩いていたが、小学校教育の場から、西洋人に倣って足をあげて馬のように歩くことが教えられた。

 学校唱歌が日本を守る

 日本人は洋楽のリズムと無縁だったから、分列行進が下手糞だった。フランスの軍事顧問団が、小学校で洋楽を教えるように、勧めた。それを受けて、軍事教育の一環として、学校唱歌が生まれた。

 私は街で人々が歩いているところや、人々が学校や、会社の式典で姿勢を正すのを見たり、小学生が唱歌を合唱するのを聞くたびに、明治に入ってから、先人たちが日本の独立を守り、不平等条約を撤廃するために、血が滲むような努力をしたことを、思うのだ。

 護憲派の人々は、外国に諂(へつら)っている。自尊心も、自立心のかけらもない。外国人におもねる人々ばかりいたら、この国は滅びることになろう。


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