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| ■ ワシントンで知る 鳩山前総理と日本の存在感 |
私は鳩山首相が辞任したというニュースを、ワシントン滞在中に知った。
翌朝、地元紙の『ワシントン・ポスト』を手に取って、眼を一面に凝らしたが、鳩山首相が辞めたという記事がなかった。めくってゆくと、八ページ目になってようやく報じられていた。
このところ、アメリカにおいて鳩山首相も、日本も、存在感が希薄になっていた。
日本で明治十八年に内閣制度が始まってから、鳩山由紀夫氏ほど軽い首相はなかった。軽い人だったから、発言も行動も軽かった。そのために、日本の存在がいっそう軽くなった。
これは、一国の安全にかかわることだった。その国に敬意が払われなければ、国の安全をはかることができない。
日本国民がこのような政権を生んだのだった。これほどまで軽い人物を選んでしまったことを、昭和二十年八月に首相だった東久邇宮殿下の言葉をかりれば、「一億総懺悔」するべきである。
日本の存在が軽くなったのは、鳩山政権だけのせいではなかった。日本では一九九〇年にバブル経済が弾けてから、「失われた十年」が「失われた二十年」になり、経済が縮小し続けてきた。先進国のなかで二十年も続いて経済を衰えさせてきたのは、日本だけである。
総理の任期は国の評価
そのうえ、四年間で首相が四人も交代したのだ。これが営利会社だったら、倒産していよう。まさに、日本の落日だ。
鳩山首相の辞任を受けて、世界でもっとも権威ある週刊誌である、イギリスの『エコノミスト』の最新号が日本について、表紙に日の丸から赤丸が抜けて、地面へ向かって落ちている絵を用いて、特集記事を組んでいる。
アメリカで、日本に関心をいだいているのは、数少ない日本関係者に限られている。アジアでは、中国の経済と軍事力の興隆に、目を奪われている。
それでも、日本を重視する人々は、「日本が国力を回復してほしい」と願っている。アメリカはアジアを経営するのにあたって、日本をパートナーとして必要としている。
アメリカはけっして日本を捨てて、中国と結ぼうとしていない。
アメリカと中国は経済付相互依存状況
中国がかつてのソ連を連想させるような敵性勢力であることを、よく理解している。だからこそ、中国に係わらなければならない。そのうえ、アメリカは中国の虜(とりこ)となっている。両国は、アメリカが垂れ流すドルを中国が引き受け、中国がアメリカ市場を必要としている相互依存関係にある。
私は二十代からアメリカに通ってきたから、日本の興隆とともに生きてきた。ところが、このところ日本の興隆のあとで、凋落を体験しているのだろうかと、訝っている。
戦後、日本国民が時がたつうちに、幼稚になった。
鳩山内閣が菅直人内閣と交替して、同じ民主党内で政権の盥(たらい)回しが行われた。民主党は昨年の総選挙で、いまの「生活第一」という公約を掲げて圧勝した。子供の特徴は、その場の欲求を満たすことにしか、興味がない。欲求が入れられないと、泣き叫ぶ。
国の独立は自らの手で護ること
日本国民が幼児化した病根は、日本国憲法にある。国際社会は成人(おとな)の共同体であるのに、日本は一人前の国家に備わっている交戦権を否定して、自ら国家主権を奪ってきた。
鳩山内閣の失態は、日米間の普天間基地の移設合意を迷走させたことにあった。これは首相、外相、官房長官をはじめ軍事問題について、まったく無知だったことに発した。
日本は国家の基本である国防を、アメリカに一方的に委ねてきた。
中国が異常な軍拡を進めているために、沖縄が日本の防衛の最前線となっている。ところが、沖縄には二万人以上のアメリカ兵が駐留しているのに対して、二千人の自衛隊員しか配置されていない。
私は鳩山首相が昨年の総選挙戦中に、普天間基地を沖縄県外へ移設すると公約した時に、事前に移転先についてかなりの研究を行い、アメリカの感触を非公式にはかったうえで、そのような重大な発言を行ったものと思った。だが、思いつきにしかすぎなかった。
徳之島にヘリコプター部隊を移すことに執着したが、沖縄本島から遠すぎることが、分からなかった。ヘリは海兵隊の移動手段であって、これでは消防車を消防署から何キロも離れたところに置くようなことだったから、アメリカが承知するはずがなかった。
その後、日米合意に戻ることを強いられると、苦しまぎれに名護市辺野古の海を埋め立てるかわりに、海に杭を打ち込んで滑走路を建設するという案を、アメリカに提示したが、杭打ち方式では脆弱すぎるといって一蹴され、仕方なく埋め立て方式に戻った。
私はしばらく前に、NATO(大西洋条約機構)軍の招待で、NATOの基地を見学したことがある。どの基地も臨戦体制にあった。
小型機で西ドイツ(当時)にあった、空軍基地に案内されたが、滑走路に迷彩が施され、土砂を積んだボタ山がそこかしこにあって、数台のブルドーザーが待機していた。案内の将校が「滑走路が爆撃されて、穴をあけられたら、埋めるためです」と、教えてくれた。
寄せ木細工のような桟橋を建設して、破壊されたら、修復するのがたいへんだ。
鳩山内閣はここで何千万円、何億円といって、政治ショーとして「仕分け」を行った。だが、杭打ち方式を採用したら、埋め立てるよりも費用が二倍近くかかった。民主党のお遊戯場にすぎなかった。
首相や、閣僚だけが軍事問題について、知識をまったく欠いているのではない。先の大戦を体験した世代が引退した後の国会議員のほとんどについて、同じことがいえる。
アメリカの政権幹部は、日本の為政者が軍事知識を欠いているために、「話し相手にならない」と嘆いている。これでは国防が独立国の重大事であり、日米安保条約が軍事条約であるにもかかわらず、対話が成立しない。日米同盟関係について、今後、もっとも憂えねばならないことだ。
国会議員に防衛省の官僚が議員会館に呼ばれて講義することを求められるものの、「方面隊と師団はどちらが大きいか」とか、「大隊は連隊の上か」と質問をされるという。これも、戦後、学校教育の場で軍事という大事を、まったく教えてこなかったからである。
国会議員会館が建て替えられて、テレビの番組によれば、地下階にあった二軒の床屋が一軒になったかわりに、英会話教室が入ることになったという。英語も結構だが、それよりも軍事教室をぜひ設けてほしい。
日本国憲法が日本を国家でなくしているために、日本国民の大多数が国を想うことがなく、自分を確立することがなくなった。福沢諭吉が警告した、「一身の独立なくして、一国の独立なし」という羽目に陥っている。
しっかりとした自己を持たなくなったために、商業本位のマスコミの煽動にのりやすく、マスコミがつくりだす贋物のコンセンサスに寄りかかって、身を委ねる。自分の重心が外にあるために、集団のコンセンサスがどこにあるのか、みんなで探り合ううちに、実体がまったくない中心が生まれる。
全員が得体が知れない中心に、寄りかかる。コンセンサスが世界のどこにもないものであって、実体を欠いていても、一人歩き始める。現実から遊離しているのに、壊すのがきわめて難しい。
戦後のコンセンサスは現憲法から自虐史観まで、怪しげなものが多い。
今日の日本には呪術があって、論理がない。
菅首相の最初の記者会見では、国防と教育に触れることがなかった。首相から国民まで、夢遊病者となってさまよっている。
(2010.7)
| ■ 中国を正しく知ろう。歴史に学ぼう |
中国が眩しく輝いているように見える。
中国経済が巨大化しているために、東南アジアの国々が中国へ草木のように靡いている。日本でも、小沢一郎与党幹事長が数百人の群臣を率いて、北京へ朝貢したことは記憶に新しい。
中国が勢いを増して、まるで「すべての道が、中国へ通じている」ようである。
中国は謎の国である。いったい、どのような国なのだろうか。
中国人は「中国に五千年の歴史がある」といって誇る。四千年の歴史ともいわれる。
多くの中国人が漢民族全員が中国の伝説的な始祖の黄帝の末裔であると信じているが、黄帝は西暦で数えて紀元前二七〇四年に生まれたとされている。
中国はアッシリア、バビロニアのメソポタミア、エジプトと並んで、人類文明発祥の源流の地だった。だが、メソポタミアや、エジプト、古代ギリシアや、ローマ帝国といっても、遠い過去の栄華となっている。だが、中華帝国は十九世紀に阿片戦争に敗れてから、ごく最近まで力を失っていたのにもかかわらず、逞しい生命力を保ってきた。
中国は阿片戦争を境にして一世紀以上にわたって、〃屈辱の時代〃を強いられたが、ケ小平による開放経済を出発点として、中華帝国の逆襲が始まった。中国は「合久しければ分、分久しければ合」というように、統一と分裂を繰り返してきたが、漢から清にいたるまで超大国だった。
ところが、中華帝国は国ではない。そこで、国に名前がなかった。中華、中国という言葉が示すように、中国こそが世界の中心であり、中国の天子が全世界を支配していると信じたから、国名を必要としなかった。日本で「内外」というところを、中国では「中外」という。
漢、隋、唐、元、明から清まで、すべて王朝名である。清がイギリスに阿片戦争に敗れて、一八四二年に南京条約に調印するのを強いられた時に、王朝名をはじめて国名として便宜として用いた。中国はそうすることによって、一つの国となった。
中国人は中華文明文化が唯一つの真当な文明文化であり、中国が世界の中心であると信じてきた。このような思い込みは、今日でも中国人のDNAのなかに、滔々と流れている。
中国人にとっては、中華文明こそが何よりも心に近く、大切なのだ。
黄帝は中国人の誇りだ。黄河、黄袍(皇帝の衣)、黄屋(天子の敬称)、黄龍(もっとも縁起がよい動物)というように黄色によって魅せられている。日本では黄色人種というと、快くないが、中国人は黄色人種が白人種よりも、優れているとみなしてきた。
中国人の優越感は中華文明文化から発している。世界を華と夷に分けて、華化されれば徳化されたのであり、夷は化外の地に生きていた。
だから中国には国境線がなかった。中華帝国が力によって占拠した地域が、中国となった。したがって、中華帝国が侵略を働いたとは考えずに、中華文明に吸収されたと解釈した。中国は国を装った文明なのだ。中華帝国には恐ろしいことに国境線がない。
漢民族という言葉は、もとから存在しなかった。今日でも、同じ漢人といっても、北京の人々と、百越、閩越など南方系の広東人では、背丈も、骨格も異っている。漢人は漢字と儒教を共有することによって、そう称されるようになった。漢民族という言葉は、十九世紀末につくられた。孔子は『春秋』のなかで、夷を「中国に服従しない胡」(野蛮)と定義している。
漢人の漢は紀元前二〇六年から二二〇年まで、四百年にわたる統一王朝だった漢に由来している。秦(紀元前二二一年〜紀元前二〇六年)が中国をはじめて統一したのに、秦人といわず漢人というのは、中国人がことさら雄大なものを好むからだろう。秦は十五年しか続かなかった。始皇帝は文字を統一して、今日の漢字をつくった。
フランス語のチナ、英語のチャイナ、支那という言葉のもとは、秦の発音がインドの古代サンスクリット語から発している。中国人は日本人が支那というと憤るのに、チャイナ、チナと西洋人がいっても託つことがない。中国人は功利的だから、いまだに慢心している西洋の白人には敬意を払うものの、虚弱になった日本人は許せない。
中国人は国外へ移住しても、同化しない。マレーシアは中国系が人口の四分の一を占め、インドネシアをはじめ東南アジアにも、華僑が多い。ところが、どこへいっても閉鎖的な華人社会を形成して、現地の人々を見下している。
二〇〇八年の北京オリンピック大会の時には、オーストラリアのキャンベラから、クアラルンプール、ジャカルタ、バンコク、ホーチミン、香港まで、聖火リレーを夥しい数の華僑が熱狂して迎えた。長野でも同じことだった。このこと一つをとっても、外国人に参政権を与えるべきではない。
一九八〇年以降の中国の経済発展は、台湾、香港や、東南アジアの中国人による投資によって、大きく助けられた。インドや、ロシアをとると、国外に移住したインド人や、ロシア人について同じことがいえないのと対照的である。
一九八九年に、天安門事件が起こった。ところが、この虐殺事件は凄惨をきわめたのにもかかわらず、政権が行ったことだったから、人民がすぐに忘れた。十年後もそうだったし、まだ二十年しかたっていないのに、深い傷になっていないことに驚かされる。
これは他の国であれば、考えられないことである。天安門事件はソ連の共産政権が崩壊したのと、ほぼ同じ時に起こったことから、多くの専門家が中国でも共産政権が倒れることになると、予想した。だが、そのような見方は当たらなかった。
中華文明は漢字と儒教によって支えられてきた。儒教は紀元前五世紀に、孔子が始祖となった。毛沢東主席を領袖とした中華人民共和国が、孔子と儒教を目の敵としたのにもかかわらず、共産体制は儒教によって維持されていた。だから共産主義が思想として破産しても、独裁体制が少しも揺るがなかった。
儒教政治は最高権者が徳を備えており、民が従うことのうえに成り立っている。毛沢東主席も徳の權化であるとされた。儒教がマルキシズムの衣をまとっていたにすぎなかった。儒教では民は依らしむべきものだから、どのような嘘をついてもよい。人民文化大革命も下から盛りあがった大衆運動ではなく、上からつくられたものだった。
ケ小平、江沢民後の中華人民共和国も、儒教体制であることに変わりがない。中国人にとっては、王朝と自分の一族が大事なのだ。現政権の幹部たちも白髪を嫌って、全員が髪を黒く染めているが、孟子が白髪の老人に重い仕事をさせるべきでなく、労わらねばならないと教えたことから発している。
この三十年ほどのあいだに資本家が生まれているものの、新しい勢力とはならない。商人たちは政治的な自由に関心がなく、高官と結託して政治権力を利用することに汲々としている。中華帝国では人民も国も、すべて天子の私有物だとみなされた。官の腐敗が続いていることも、変わらない。
中国は巨大な空間――面積を支配して、多くの少数民族を抱えているが、少数民族も含めて中華民族だと呼称している。インドや、アメリカも多民族国家であるが、インド民族とか、アメリカ民族というような突飛な呼びかたはしない。
といって、中華民族は平等ではない。新疆ウィグル、チベットが好例だが、華化されるまでは敵視されて迫害される。中華文明文化以外は、夷である。
中国は日本を徳化することを狙っている。中国はかって「アジアの病人」と呼ばれたが、いまや日本がそうなったのではないか。
(2010・3)
| ■ 日本の流れが変わりつつある |
いま、日本人の精神のありかたが、変わろうとしている。
日本はあきらかに勢いを失っている。日本では、”バブル”と呼ばれた経済が破綻してからというものの、「失われた10年」とひろくいわれた。
ところが、その後も経済がずっと低迷して、10年が「失われた20年」となってしまった。先進諸国のなかで20年を失った国は、日本だけだ。
そのうえ、将来へ向かって、明るい展望を描くことができないでいる。
今年中に、世界第2位の経済大国の地位を、中国に譲るのが必至といわれる。
私たちは日本が1980年代に、世界第2位の経済大国の地位を獲得してからというものの、その地位を誇ってきた。
ずっと心を経済力に預けてきたから、世界第2位の経済大国だということが、日本を日本たらしめていた精神的な支柱となってきた。これから、この誇りが失われるのだ。
このように日本が力を衰えさせているために、日本の力がどこから発しているのか見直そうという、気運がたかまっているように思われる。いつだって國として、誇るものが必要だ。
国民が右肩上りの経済に酔い呆れていたあいだは、眼が心の外へ向けられていたものだった。これから、眼が心の内側へ向けられるようになろう。
民主党政権が国民の圧倒的な支持を受けて、誕生したばかりだというのに、鳩山首相と小沢幹事長が巨額資金をめぐって疑惑にまみれている。
2人が日本の顔となっているために、日本は世界中から侮られるようになっている。
そのかたわらでは、家族が崩壊し、凶悪犯罪が増えて、日本が落ちるところまで落ちてしまったようにみえる。
だからこそ、日本を蘇らせたいという気運が、芽生えているのだろう。日本の伝統的なよさを取り戻したという意識が、強まるようになっている。
私の個人的な体験を述べたい。私は昨年12月にPHP研究所から、武士道について講演をするように依頼された。PHP研究所は松下幸之助翁によって、創立された。
私は松下政経塾の役員を長くつとめて、昨春に相談役で退任したので、喜んで引き受けた。PHPの事業として、数年前から武士道学校を発足させたということだった。
講演は研究所の本部で行われたが、受講生は大学生から高齢者の夫婦まで、100人あまりだった。代々木オリンピック記念公園で午前6時から体操することから始まり、3日にわたる教課が行われるというものだった。
そして、偶然だったが、同じ週に都内のある会社から、やはり武士道について講演を依頼された。その会社の会議室で、60人ほどの会社の関係者に話した。
今年に入ってから、その会社が中心となって、私の近著の『徳の国富論』(自由社、11月刊)の読書会が、都内のホテルで毎週火曜日の午前7時半から、朝食をとりながら催されるようになった。50人前後が参加している。今朝は7回目の読書会が行われた。
武士道への関心もたかまっている。武士道というと、武士に限られていると思われがちだが、そうではけつしてない。江戸時代を通じて武道について、さまざまな本が著わされたが、武士道の教典が存在するわけではない。
武士道は日本国民が長い歳月をかけて培ってきた精神が表われたもので、武士の専有物ではない。庶民も同じような精神を持っていた。それが武士道になったもので、はじめに武士道ありきだったわけではない。
武士道には、教義がない。ユダヤ教やキリスト、イスラム教などの宗教と異なっている。
一言でいえば武士道は、「己の欲望を抑えて、公のために働く」というものだ。武士道は、男の独占物でもなかった。明治の日本を築いた優れた男たちは、日本の母が育てた。
このところ、天皇の存在について、国民の関心がたかまっている。これまで大多数の若い人々が、皇室について思うことがなかった。
この3月から出版社大手の小学館が『皇室の20世紀』を全40巻・DVD付きで隔週発刊するというので、協力を求められた。編集者が「社運を賭けた企画です」と、いった。
天皇について関心が深まっているのも、日本が歴史を通じて蓄えてきた力について学びたいと、願うようになったからであろう。
私は「日本マイナス天皇」という数式の答が、「中国か、朝鮮」(韓国)だと考えてきた。日本が中国や、朝鮮のように周期的に乱れることがなく、国民が和を重んじてきたのは、万世一系の天皇が存在してきたことによると思う。あるいは和を重んじる精神が、天皇という政治文化の傑作を創りだした。
いま、民主党政権のもとで、政治が大きく混乱しているが、国民が不安に駆られて、狽えることがないのは、天皇の存在がこの国に安定感を、もたらしているからだろう。
私は昨年11月に皇居前広場で催された、天皇陛下御在位20年の祝典に参列した。午後6時を過ぎていた。
両陛下がほどなく二重橋に出御されるというアナウンスがあって、暗い空のもとを振り向くと、広場を埋めた3万人が掲げる、奉祝提灯の明るい光の長い帯が揺れていた。その背後に、超近代都市である東京の高層ビルの無数の窓が、いつものように瞬いていた。
参会者が万歳を繰り返して唱えて、高くかざした奉祝提灯を打ち振った。
私は21世紀の世界のなかで、日本だけが近代と古代が見事なまでに融合している国であることに、あらためて感動した。
日本は世界の国のなかで、古代の神話が今日でも生き生きと息づいている、唯一つの国である。古代が古代になっていないのだ。
皇居の構内にある宮中三殿において、古代に発する宮中祭祀が、今日でも連綿として執り行われている。皇室はお歌の伝統を継いでこられた。朗々と詠まれるお歌は、言霊(ことだま)を運ぶ祈りである。
神社建築も上代の様式を伝えている。戦後、造営された新宮殿は神社建築と同じ高床式が用いられて簡素で清々しく、他国の贅を凝らした王宮にない気品に溢れている。
ギリシアにはギリシア神話が、イタリアにはローマ神話がある。しかし、過去に属しており、現代にかかわらない。ギリシアのアテネの丘にたつアクロポリスは、廃墟であって遺跡でしかない。
それに対して、伊勢神宮は20年ごとに遷宮式が行われて、原型に忠実に建て替えられ、現在に及んでいる。
中国、朝鮮では易姓革命と呼ばれるが、皇王位の簒奪者がしばしば現われ、国を奪って、私した。新しい王朝はかならず人民を収奪して、贅に耽った。中国、朝鮮では王朝と民衆は、つねに対立関係にあって緊張していた。125代にわたるなかで、贅のかぎりをきわめた天皇は1人もいない。
このような国は、他にない。日本は大きな力を秘めている。
| ■ 今日、ほとんどの人々が環境破壊による危機直面を信じている |
昨年の十二月に世界の首脳がコペンハーゲンに集まって、国連気候変動枠組条約第15回締結国会議(COP15)が開催された。
COPはデンマークのコペンハーゲンだ。この前の二回は一九九二年にブラジルのリオデジャネイロと、九七年に京都で行われた。
このところ、地球の気候変動が外交の主要なテーマとなっているが、人類の歴史上ではじめてのことだ。東西の冷戦が〃ベルリンの壁〃の倒壊したことによって終わってからのことである。
気象といえば、人にとってごく身近なものだ。だから世界の注目が集まる。今日、ほとんどの人々が環境破壊の世界的な規模で進むことによる、人類の危機に直面していると信じている。
大多数の人々が(1)地球温暖化が進行しており、(2)それが人間の活動によって引き起されていて、(3)今や危機的な段階に達しており、(4)二酸化炭素ガスの大気への放出量を削減するために、緊急な措置をとらねばならないと、考えるようになっている。
だからといって、この気候変動と取り組む会議では、いったい気象の変動がどのような原因によって起っているのか、人類にとってどれほど深刻なものなのかといった基本的な問題について、科学的に討議されることがなかった。(1)から(4)までを、疑うことを許されない既定の事実として、各国がどのように対応したらよいのか、検討された。
私は一九七〇年代から環境問題や、資源問題と取り組んできた。
一九七〇年代はじめに、ローマ・クラブの報告書『成長の限界』が、世界を風靡した。
経済成長をこれ以上続けると、地球上の資源が有限であるうえに、地球環境が破壊されて、人類が滅びるから、「ゼロ成長」にしなければならないと警告して訴えるものだった。
いま、温暖化説がコンセンサスとなっているように、学界から言論界までこの「成長の限界」論の前にこぞって拝跪して、まるで羊の群れのように共鳴した。
だが、これはまったくの愚説だった。私は経済成長を停めたら、汚れた空気や、河川などをきれいにするために、必要な投資ができなくなるから、公害がそのまま残るだけではなく、悪化するほかないと反論した。
コンセンサスはほとんどの場合、科学的な根拠がないものだ。ついこのあいだまで平和憲法さえあれば、どのような恐ろしい国々があっても、日本の平和が守られるという信仰に近いコンセンサスがあったが、典型的なものだ。いま、温暖化説が安直なコンセンサスとなっているが、地球の平均気温は二〇〇一年から今日までまったく上昇していない。
読者はコペンハーゲンでCOP15が始まる一ヶ月ほど前に、インド洋に浮ぶモルディブ諸島で、モルディブ共和国のナシード大統領が閣僚とともに海中で閣議を催して、海面の水位の上昇を停めるために、地球温暖化が進むのを阻止することを訴えるアピールに署名するところを、テレビで御覧になったことだろう。全員がスキューバダイビングの出で立ちに、酸素ボンベを背負っていた。
このまま水位が上がると、海没するというのだ。テレビがしばしば島々が沈む危険にさらされている、というニュースを流している。
海中の閣議はちょっとしたイベントだったが、事実はどうだろうか?モルディブは千二百あまりの島々によって構成され、面積は佐渡島の三分の一しかないが、もっとも高い地点でも、海抜二・五メートルしかない。しかし、モルディブを囲む海面の水位は、過去三十年にわたって、まったく上っていない。一九七〇年代には、二十センチも下っている。
モルディブをはじめとする島嶼諸国を永年にわたって研究してきた科学調査団によれば、モルディブでは一七九〇年から一九七〇年にかけて、水位が二十センチ上った。十七世紀を通して、水位が五十センチ上昇していた。
太平洋に浮かぶ島々であるツバルや、バヌアツをとっても、同じことで変わらない。バングラデシュは国土の海抜が低いために、温暖化が進んで海没してしまうといって心配されているが、この三十年ものあいだ水位が上っていない。
ナシード大統領は国際的な援助欲しさに、閣僚と示し合わせてパフォーマンスを行ったのだった。その映像が全世界にわたって放映されたから、現地のディベヒ語で「やったぞ、やったぞ!」と叫んだにちがいない。
一九七〇年には、地球冷却化説が学会のコンセンサスとなっていた。冷却化が進んでゆき、異常気象が発生して、多くの地域が 早魃や、集中豪雨、砂漠化や、洪水、飢餓によって見舞われると警告された。アメリカ政府は七〇年代に地球冷却化を警告する報告書を、しばしば発表している。
それが、いつの間にか地球温暖化説によって、取って代わられるようになった。
だが、温暖化説に異議を唱える専門家はけつして少なくない。気象学の権威であるアメリカのプリンストン大学のフリーマン・ダイソン教授は、地球が冷却化と氷河期へ向かっていると説いている。それどころか、温室効果ガスは氷河期の到来を遅らせることになるから、かえって歓迎するべきだと論じている。
地球はその長い歴史のなかで、冷却化と温暖化の周期を繰り返してきた。気象変化は太陽の黒点や、海流、磁場の移動をはじめとして、複雑な数多くの要因が重なってもたらされてきた。
私は「温室効果ガス」と呼ばれる二酸化炭素ガスが、主役を演じていないと思う。
自然の大きな力を前にして、温暖化や、冷却化が人間の活動によって、ひき起されているとは考えにくい。一九九一年にフィリピンのルソン島のピナツボ火山が大噴火した年には、大量の亜硫酸ガスを放出して、地球を覆ったために、世界の平均気温が摂氏一度近く落ちた。
人間は昔から、こわいもの見たさといって、ことさら恐ろしい話を好んできた。仏教、キリスト教などの宗教をとっても、世界の終末観が示されている。また、人は罪の意識にとらわれることを好んできた。温暖化が人によって引き起されて、世界が滅びるというのは、人のような性向に適っている。
だが、温暖化説が誤まっているとしても、歓迎すべきところがある。
今日の商品や、資源を際限なく浪費する経済は、社会を道徳、倫理的に脅かすものだ。温暖化をきっかけにして、物や、資源を大切にするようになれば、健全な生活文化を取り戻すことができる。
このままゆくと、限られた資源をめぐる争奪が世界の安定を揺るがすことになる。環境重視は自然の尊厳とともに、生命の尊厳を確立する。地球温暖化の脅威は諸国に一体感をもたらし、国際協調を促すというよい面がある。
私はインターナショナルなものや、グローバリゼーションを嫌っている。エコロジーを重んじる生活がひろまれば、地産地消が促進され、無駄を排して、小さなものがよいという等身大――ヒューマン・スケールの生活習慣を取り戻すことになるから、歓迎したい。
(2010・2)
| ■ 聖なるものは時間と私心を超えて |
このところ、天皇の存在について国民の関心がたかまっているように思われる。
この3月から、小学館が全四十巻DVD付きマガジン『皇室の二十世紀』を隔週刊で発刊するのに当たって、協力を求められた。たずねてきた編集者が、「社運を賭けた企画です」ということだった。
民主党政権のもとで政治が大きく混乱しているが、国民が不安に駆られて、動揺することがないのは、天皇の存在がこの国に安定感をもたらしているからなのだろう。
御即位二十年をお祝いする国民祭典に参列して
聖なるものは時間と私心を超えて
| ■ 天動説と地動説 |
世界は2010年代に入った。先進国に住んでいる私たちは、暗い不況のトンネルのなかを進んでいて、つぎの十年を展望すると、明るい未来を描くことが難しい。
それにしても、この10年のあいだに世界がなんと大きく変わったことだろうか。
2000年が明けた時には、ソ連が崩壊して東西冷戦が終わったために、アメリカが唯一つの超大国となって世界を睥睨していた。だが、アメリカは2001年にニューヨークの世界貿易センタービルが破壊され、その7年後にウォール街が自爆し、そのあいだにイラク、アフガニスタンの中東の泥沼にはまった。一転して、アメリカは力を衰えさせてしまった。
だが、先進諸国をよそにして、後進国とか、発展途上国とか長いあいだにわたって呼ばれた、中国、インド、東南アジア、中東、中米、南アメリカ、アフリカにいたる新興諸国にとって2000年から昨年までは、輝かしい10年となった。12億人の人口を擁する中国と、11億人のインドをとれば、この10年間でGDP(国内総生産)――経済規模が倍増した。ブラジルも好況に湧き、インドネシア経済も上向いた。ロシアは原油価格が一時、暴落したためによろめいたが、ソ連時代よりもはるかに豊かな生活を享受している。
この10年間で、ウクライナで株価が9倍になり、ペルーで8倍というように、多くの新興諸国が花見酒経済を謳歌した。20世紀が終わるまで、世界が豊かな先進国と貧しい後進国の二極構造に分かれていたものだったが、過去のものとなった。
これらの新興諸国の急速な経済成長は、1960年代に所得倍増の勢いで伸びた日本経済を思わせる。
これまで先進国に住む私たちは、人類が先進国と、後進国の二つの世界に分かれているという世界観を、まるで天動説のように信じてきた。21世紀の初めの10年は、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)を代表格とする新興諸国が、目覚ましい経済成長を遂げるなかで、天動説に代わる地動説が新しい真理となって現われた。
今年もこれらの新興諸国が、世界経済の牽引車の役割を果たすことになろう。これらの新興諸国に巨額の投資が引き続いて流れ込み、新興諸国経済が世界総生産の伸びの70%以上をもたらすことになるはずだ。
といっても、新興諸国経済が右肩上がりの上昇を、ずっと続けてゆくとは限らない。昨年、ペルシア湾岸のドバイが大きく揺らいだのが好例だ。東アジア経済が1997年に東南アジアから始まって通貨危機に見舞われたし、98年にロシアが債務不履行に陥ったために、株式市場が大暴落を演じたように、しばしばぶれることがあろう。
現在、中国において不動産バブルが沸騰点に達しており、破裂するのではないかと懸念されている。もし、中国経済が急激に冷えこむことがあれば、中国にとって何よりも大切な政治的安定が揺らぎかねない。
中国はこの5月から一昨年の北京オリンピックについで、国威を賭けて上海万博を開催する。実は今年の上海万博は、中国にとって二回目の世界博となる。しかし、中国政府はあえてその事実に触れようとしない。
中国は1910年に、当時、清と呼ばれたが、南京において世界博を催している。南京世界博は清朝が中国の近代化に努めるなかで計画され、開催された。日本、アメリカ、ヨーロッパをはじめとして、14ヶ国が参加した。1910年5月に開会する予定だったが、準備が遅れて6月から始まった。
ところが、翌年の1911年に辛亥革命が起ったために、清朝が倒れてしまった。中国人は縁起を担ぐ者が多いから、上海万博の翌年の2011年に共産政権が倒れるのではないか、国内に不吉な予兆がひろがることを恐れている。
(2010・1)
| ■ 加瀬英明『徳の国富論』書評 |
評者:宮崎正弘
馥郁と歴史の香りが醸し出され、歴史講座が名文で綴られる
本書は日本史の通史ではない。強いて言えば歴史にまつわるエッセイのエッセンス。
その基軸の視点に日本人がもっとも尊ぶ「徳」の価値観を
おいている。
どのページから読んでも、そこには馥郁した、柔らかな、それでいてつよい歴史の香りが漂う。
名文を綴る匠でもある加瀬氏ならでは作品である。
たとえば江戸の人情に関して。
「江戸の人々は共通の価値観のもとで生活していたから、『世間体』がなによりも大事だった。世間体は、世間態とも書き、世間のひとびとに対する対面を意味し、見栄でもあった。
世間の人々との人間関係が、天と同じように重要だった。ユダヤ・キリスト・イスラム教のように絶対神を想定することで、同じ価値観のもとに人々を結束させる文化もある。
しかし、日本の場合は、社会そのものが人を見守る天であり、人々を束ねる役割を果たしていた」(本書44p)。
ともかく読み出して、どこからも読めるので5ページ読んで余韻を楽しみ、また5、6ページ進むと、本を閉じて中世の世界を想像したり、近代日本の激動を夢見たりしていたら、2ヶ月ほど時間が経ってしまった。
それゆえ旬の書評ではないが、この本は季節感のない、というより四季の香りがちりばめられて草花の匂いがただよう。
なによりも本書によって眠っていた敷島の精神が鼓舞されるのである。
加瀬氏は最後の節で次のように力説される。
「日本国民は先の大戦で敗れた時にも、未曾有の困難によく耐えて、うちひしがれることがなかった。廃墟の中から立ち上がって、世界第二位の経済大国を築くことができた。
それは江戸時代に培われ、日本を支えてきた精神のおかげだった。そうならば、いま私たちが直面している危機は、経済が停滞したことによってもたらされたのではない。精神が蝕まれて、日本人を日本人たらしめている心が失われようとしているからである」(242p)。
徳の大国ジャパンの真摯な姿は崩壊の危機に瀕した。ともかく本書は何時でも書棚から取り出せて、日本の精神を説く珠玉の歴史随筆なのである。(自由社)ISBN978-4-915237-53-9 1500円 (税別)
| ■ 鳩山内閣成立の意義 |
民主党は「政権交代」の四字を叫ぶことによって、自民党政治に倦んでいた選挙民心理をとらえて、政権の座を獲得した。
そのために、鳩山政権が発足すると、政策がすべて「反自民」に基づくものとなっている。
政権発足とともに日米関係を見直そうとしたのも、「反自民」の一環だった。
民主党はマニフェストのなかで、「過剰な対米依存」を正し、「対等な日米関係」を築くとうたったが、今日にいたるまで「過剰な対米依存」が何を意味するのか、これまで日米関係のどこが対等でなかったのか、まったく説明していない。
日米同盟関係が日本の礎(いしずえ)になってきたというのに、奇怪なことだ。
アメリカという後盾を失なったら、中国、韓国、北朝鮮、ロシアが、どのような無理難題を吹きかけてくるか、分からない。
日米関係が普天間基地の移設問題をめぐって、きしんでいる。鳩山首相が就任早々、中国の胡錦涛主席に対して「東アジア共同体」をつくりたいと打ちあげたが、アメリカを除外していたので、ワシントンからアメリカ離れをはかっているとして、反撥を招いた。
「反自民」に「反米」を加えたようにみえた。だが、「反自民」の衝動に駆られるあまり、外交まで捲き添えにしてはなるまい。幼稚といって、笑ってすまされることではない。
自民党政権が長年にわたって日米同盟関係を重んじてきたことによって、日本の安全が守られてきたという重い現実があるのを、忘れてはなるまい。
中国は日米同盟に亀裂が走っているのを見て、目を細めて微笑んでいよう。
国を護る基は国防にある
鳩山政権は発足してから、内外の施策をすべて見直そうとしている。外交とともに、防衛も弄ばれている。なかでも新政権が中期防衛力整備計画の制定を、来年末まで一年延期したが、国防を軽んじるのは寒心に耐えない。
このために、自衛隊の新しい整備の調達が一年遅れることになった。
日本の周辺では、中国の発表によっても、この二十一年にわたって二桁で国防支出を増して、異常な軍拡を進めている。航空母艦を建造することをはじめ、海軍力の増強に狂奔している。そのかたわら、北朝鮮が核戦力の開発に血道をあげている。
世界を見渡すと、主要国のなかで新規の防衛装備の調達を、一年間も一律に延ばす国は他に存在しない。
日本はこれまで自民党政権のもとで、過去七年にわたって防衛予算を削り、自衛隊の人員を減らしてきた。
日本を取り巻く安全保障環境が、急速に劣化している。日本が自衛隊の新規装備の調達に、一年の空白をつくる余裕はない。
日本の防衛体制に大きな空洞が生じるのを、中国、韓国、北朝鮮が喜んでいよう。
それにもかかわらず、アメリカが日本を守ってくれるという、安易な依存感があるからなのだろう。歴代の自民党政権もひたすらアメリカをあてにして防衛に手を抜いてきたが、民主党政権では他力本願がいっそうひどくなっている。
理念の不在が価値判断をゆるがす
鳩山内閣は「過剰な対米依存を正す」ことをうたってきたが、整合性がまったくみられない。鳩山首相はきっと母親とアメリカに対する甘えが、強すぎるのだ。
鳩山首相は徳をまったく欠いている。母親から九億円を貰ったのを、憶えていないというが、年末の三億円のジャンボ宝籤に百円玉を投じて願いをかけている庶民を、愚弄している。戦後の学校教育が、徳育を怠った報いであろう。
不正資金を処理した資金団体に、「友愛」の二字が冠せられているのは、おぞましい。
自衛隊の新装備の調達に一年間の空白をつくることは、日本の防衛体制に取り返しがつかない深い傷を負わせることになる。とくに航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)の選定の年に当たっていたが、現用のF15の後継機の選定が一年遅れることになると、航空戦力を支えてきた航空機産業を維持することができなくなるから、日本の安全にとって由々しいことだ。
鳩山政権は政府の冗費を削るといって、行政刷新会議が「事業仕分け」の看板を掲げて、人民裁判もどきのショーを催した。防衛予算にも、大鉈が振われた。そのなかで、即応性の向上が必要な第一線部隊について充足をはかるために、三千五百人の自衛官の実員の増員要求が拒まれて、見送られた。
陸海空三自衛隊を合わせると、五千三百人の実員を充足することが、かなわなかった。装備の調達についても、同様に扱われた。ところが、「仕分け人」のなかに、一人として防衛問題の専門家がいなかったのだから、乱暴きわまりなかった。
現在、陸上自衛隊は十四万人まで減っている。陸上自衛隊をとれば、これまでもイスラエルとシリアの境のゴラン高原、イラク、カンボジアなどへ平和維持活動のために、足りない兵力を割いて、特別に派遣部隊を編成して派遣してきたが、遣り繰りが苦しかった。僅かな人員から、年齢、階級、特技を勘案して抽出するために、苦しんできた。
台湾は九州の面積と均しいが、陸軍兵力は十五万人だ。これに加えて一万人の憲兵と、二万人の海軍陸戦隊がいる。そのうえ、二十万人以上の予備役が控えている。
イギリスは陸軍兵力が十五万人だが、日本はイギリスの面積の一・六倍近い。やはり、その何倍もの予備役兵力が控えている。
離島の与那国島、尖閣諸島、対馬、壱岐、五島列島などの防衛もままならない。目下のところは、空き家同然だ。隣国がわが離島を、虎視眈々と狙っている。離島を防衛するためには、陸上戦力がどうしても必要である。これらの離島の周辺に、海上自衛隊の艦艇を常時貼りつけておけないし、航空機もつねに飛んでいられない。漁船などに兵員を乗せた不正規侵攻も、想定しなければならない。現在の十四万人では、離島まで守ることができない。
日本人教育こそ原点
小学から高校教育まで国防が大切であることが、まったく教えられてこなかったから、戦後教育の欠陥のつけがまわっているのだ。大学で軍事学が講ぜられることもない。鳩山首相と麻生前首相だけとっても、軍事に疎(うと)かった。同じことが、戦後教育を受けた国会議員についていえよう。
防衛省は質の高い自衛隊員を、確保できないために悩んでいる。防衛省が平成十九年に発表した報告書『防衛力の人的側面についての抜本的改革』では、「握力不足のために射撃ができない者、ソフトボール投げができない者が入隊していた」事例があげられている。隊員のなかに引金が引けない者や、ボールを投げられない者がいるというのには、暗然とさせられる。
自衛隊が質の高い隊員を確保することができない、もっとも大きな理由は学校教育の場で、国防の重要性を教えないからだ。先の防衛省の報告書では、学校教育を正すべきことに、まったく触れていなかった。青少年が国を護ることに誇りを感じなければ、隊員募集に当たって、つねに困難な状況が続いてゆこう。
国民の圧倒的多数が、豊かな暮らしを続けてゆくことだけを願って、日本が国家を形成していることを忘れている。そのために、国防の重要性を思い遣ることがない。
昨年十月に、皇太子殿下が中国の人民解放軍歌劇団の公演に御臨席された。私は唖然として、これまで祖国を護るために散華した御英霊を思って、涙した。これは、東宮殿下の側近の重大な過失である。外国軍の歌舞団の公演にお成りになるのであれば、どうして、一度として例年の自衛隊音楽祭に御臨席下さらないのだろうか。
(2010.1)
| ■ 鳩山内閣が登場して |
鳩山内閣が登場してから、普天間基地の移設問題をはじめとして、日米関係が険しいものとなっていたが、訪日したオバマ大統領と鳩山首相との会談は波風をいっさい立てずに終わった。
というより、実質をまったく欠いたものだった。鳩山政権が日米同盟の枠組を大きく変えようと試みて、日米関係が緊張していたというのに、異常なことだった。
もっとも、オバマ大統領が十一月の訪日に当たって、日本に対して柔和な態度でのぞむということが、ワシントンから事前に伝わっていた。
十月にゲーツ国防長官が来京した時には、鳩山政権が普天間基地の移設について、日米合意を壊そうとしていることに強い不快感を表して、日米関係を険しいものとした。そのために、ゲーツ長官は恒例の儀仗隊の栄誉礼を受けることも、防衛大臣による晩餐会も拒んだ。オバマ大統領はゲーツ長官の強面によって、日本にメッセージが十分に伝わったと判断したのだった。
私は外交の専門家として〃鳩山外交〃を採点すれば、百点満点で零(れい)点(てん)をつける。それよりも、マイナス点をつけたい。
鳩山外交は九月にニューヨークを舞台にして、中国の胡錦涛主席とのサミットから始まった。
鳩山首相は胡主席に経済や安全保障について共通政策をとる、東アジア共同体をつくろうと提言した。だが、「東アジア共同体」といっても漠然として、具体的な内容がまったくなかった。構成国すら分かっていなかった。この「東アジア共同体」は、まだ構想とすら呼べるものでなかった。
日本と中国は国是がまったく異なる国であって、国の根幹である外交と安全保障の分野で、共通した政策をとることはできない。
首相は得意気になって、「友愛」という言葉を乱発した。
しかし、「平和」や「友好」と同じように、空虚な飾り言葉にしかすぎず、意味がない。
中国はこれまで二十一年間、毎年、軍事支出を二桁で増して、異常な軍拡を進めてきたのにもかかわらず、自国の興隆を「平和的台頭」と称している。そのかたわら、日本は過去七年にわたって、毎年、防衛費と自衛隊の人員を削減してきた。
鳩山首相は東シナ海を「友愛の海としたい」と提唱した。呆(あき)れるほど、現実離れしている。中国は航空母艦を建造するといって、海軍力の増強に狂奔しているが、まさか、友愛の精神に駆られているのではあるまい。
鳩山首相は胡主席に「村山首相談話を遵守する」と、約束した。かりにそう思っているにせよ、あの場で言うべきことではあるまい。媚びたとしか思われまい。首相が友愛というのは「中愛」だろうか、心配させられる。
鳩山首相は国連の環境サミットで演説して、「二酸化炭素ガスの排出量を、二十五%減らす」と、大見得を切った。そのような国際合意が行われようはずがないからよいものの、二十五%削減することになったら、日本の経済を大きく混乱させるものだ。このような提案を、国民の合意を取りつけることなしに行ったのは、軽率だった。
首相は国連総会で演説をして、オバマ大統領が五月にチェコのプラハで「核兵器がない世界を目指す」と述べたのを受けて、日本が唯一つの被爆国として、核兵器廃絶へ主導的な役割を果たす考えを強調した。
オバマ大統領はプラハの演説のなかで、「私が生きているうちに、核兵器廃絶を実現することは難しいだろう」と、断わっている。
オバマ大統領が狙っていたのは、核兵器の廃絶ではない。「核のない世界」へ向けて国際世論の大きな流れをつくって、とくにイランと北朝鮮を標的として、核兵器の世界への拡散を防止しようというものだ。
日本が核兵器がない世界をつくるのに、「主導的な役割」を果すと見栄を切ったが、核兵器を保有していない国が核軍縮についてさえ交渉する力を欠いているのに、どうして核兵器廃絶へ向けて働けるものだろうか。
外交は実現しようがない夢について、議論する場ではない。
鳩山首相は日本が先進諸国と発展途上国との間の「架け橋」の役割を果たすと、訴えた。軍事超大国であるアメリカと違って、どの小国でもよいから、分厚い札束で頬を叩かないかぎり、日本に進んで従おうとする国がいったいあるものだろうか。
ニューヨークにおけるオバマ大統領との会談では、適当にあしらわれた。オバマ大統領は駄々っ子をあやしたのだった。
鳩山首相は日米首脳会談の直後に、「ユキオ、バラクの仲になった」と自慢したが、アメリカの歴代の大統領は相手がどんな小国であろうが、ファースト・ネームで呼び合おうと提案するものだ。
アメリカと「対等な関係を結ぶ」というのも、どうかしている。
「対等」がいったい何を意味するのか、判じ物だ。日米安保条約はアメリカが外国と結んでいる多くの軍事条約の一つだが、アメリカが相手の国を一方的に守ることを約束した、唯一つの条約だ。韓国は米韓共同防衛条約を、フィリピンも対等な攻守同盟条約である米比共同防衛条約を結んでいる。ヨーロッパの人口四十万人のルクセンブルグも、アメリカと北大西洋条約(NATO)を通じて、対等な攻守同盟条約を結んでいる。
日本はこれまで片務的な被保護条約である安保条約を、まるで喉を撫でられた猫のように鼻を鳴らして、後世大事にしてきたのではなかったか。
来年は現行の日米安保条約の五十周年に当たる。安保条約を対等な条約に改めるか、集団自衛権の行使を禁じる政府の憲法解釈を改めるつもりがないかぎり、「対等」という言葉を口にすべきではない。
鳩山政権は沖縄の普天間基地の移転について、見直すという。アメリカを焦ら立たせ、不信感を募らせただけのことだ。県外に移設するというのは、絵空事だ。嘉手納基地に統合するというのは、軍事知識が少しでもあれば、できないことを知っているべきだ。アメリカが合意するはずがない。
日米安保条約は第五条はアメリカが日本を守ることを誓い、第六条でそれと引きかえに、日本がアメリカ軍に基地を提供することを約束している。だが、日本はアメリカと軍事条約を結んでいる多くの国々と違って、アメリカを守る義務は負っていない。
もっとも、アメリカは移転問題に決着がつかなければ、普天間に居座り続ければよいだけのことだ。グアムへ移動するはずの海兵隊も、留まることになる。だが、それでは沖縄県民が浮かばれないだろう。
岡田外相がアメリカに「核の先制攻撃」を行わないことを、約束させたいと演説した。岡田外相もまったく幼稚としかいえない。
アメリカに核先制攻撃をしないことを誓わせたいなら、当然、日本の隣国の中国とロシアにも同じことを要求するべきではないか。なぜ、アメリカだけを目の敵(かたき)にしたのか。
アメリカに核の先制攻撃を放棄させようというが、アメリカの世界戦略にかかわることだ。それに、〃核の仐〃は核攻撃に対するものだけではない。
もし、北朝鮮が日本にミサイルを用いて、おそろしい化学、細菌兵器を撃ち込んでくることがあったら、どうするのか。大量の都市住民が犠牲となろう。このような脅威に対して、アメリカが核報復攻撃を加えることが、抑止力となっている。
鳩山・岡田外交は、夢遊病のようなものだ。
外交は国の行方にかかわる真剣勝負だ。まるで幼児のように外交を弄んでいるのをみると、寒心に堪えない。
(2009.11)
| ■ 中華料理考 |
鳩山政権が発足して以来、鳩山首相の〃アジア志向〃がアメリカ離れをはかっているとして、アメリカの神経を逆撫でしている。
鳩山首相は「過剰な対米依存」を正すとともに、アメリカと「対等な関係」を結ぶと説いてきた。もっとも、いまだもって何が「過剰な対米依存」なのか、日米関係のどこが対等でなかったのか、説明がないのでよく分からない。
鳩山外交は九月にニューヨークで中国の胡錦涛主席と会談することから、始まった。
この時に、鳩山首相は「東アジア共同体」をつくりたいと提唱した。いったいどの国々が構成国となるのか、はっきりしなかったが、アメリカを加えるつもりがなかったので、アメリカの鳩山政権に対する不信感が募った。
もっとも、この「東アジア共同体」構想は思いつき以上のものではないので、立ち消えになるものと思われる。鳩山内閣は勇み足が多すぎる。
きっと、由紀夫お坊ちゃまはアメリカに肘鉄をくわせているつもりだろうが、ひ弱な腕だから、結局はアメリカのいうことをきくようになるにちがいない。
さて、私たちはアジアといえば、日本がアジアの一国だと思って、親近感が湧く。
そうといっても、アジアとはいったい何なのだろうか?
読者は「アジアは一つ」という言葉を知っていられよう。明治の美術界の巨人だった、岡倉天心が西洋と対比して述べた言葉である。
ところが、アジアという言葉の語源は古代ギリシアに遡る。ギリシア人がペルシア(今日のイラン)より東に拡がる地を、すべて十把一絡げにして呼んだ言葉だった。
アジアは広大であり、同じキリスト教文化によって結ばれているヨーロッパと違って、異質である。それぞれの民族の文化のあいだに、共通点が少ない。
日本と隣国の誼(よしみ)がある中国をとっても、大きく異なっている。
言葉をとっても、ヨーロッパ諸語がラテン語をもとにして、同じ文法を分かち合っているのに対して、日本語と中国語は文法も発想もまったく異なっている。
日中はよく「同文同種」といわれるが、日本料理と中華料理をとっても、両国の食文化は際立って異っている。
日本全国の街角に、来々軒とか、万来軒といった中華料理店が多い。.叉焼(チャーシュウ)、酢豚、シュウマイ、八宝菜、芙(フー)蓉(ヨー)蟹(ハイ)‥‥と想像するだけで、唾液腺を刺激する。
中国料理は人類の食事のなかで、メニューの幅がもっとも広い。よく「食在広州」――食は広州にありといわれるが、まさに「食在中国」といってよい。ツバメの巣から、鶏の舌、鱶(ふか)のヒレ、猿、蛇、犬猫まで食材として、舌鼓をうつ。
私は中国をはじめて訪れたのが、ケ小平時代前の華国鋒主席時代だった。全員が粗末な人民服を着て、女性は一人として化粧していなかった。
人民解放軍の李達副総参謀長が人民大会堂で、私のために晩餐会を催してくれた。料理がつぎつぎと供された。
李副総参謀長は、大人の風格があった。私の左側に座って、新しい皿が運ばれてくるたびに、長い箸を使って御馳走をよそってくれた。
私は豪華な料理が食卓を埋めてゆくのを見ながら、中国の共産革命といえば、質実と平等の理想を推し進めたはずなのに、やはり中国の四千年の歴史が中国人の鋳型をつくっているのだと、あらためて感心した。
その後も、しばしば招かれて、愚妻とともに中国全土を旅した。部隊や主要な都市を訪れると、盛大な歓迎宴を催してくれた。
漢族ほど食に執着した民族は、他にあるまい。食材について他民族と違って、宗教的、あるいは社会的なタブーがまったく存在していないのも、特徴だ。
中国の史書にはその国柄から、頻繁に食物が登場する。周といえば、紀元前1122年から紀元前256年にかけて栄えたが、赧(かん)王の宮殿には四千人が働いていた。そのうち、じつに2171人が、料理の調理人と酒番だったと、記録されている。
『史記』と『左伝』によれば、七世紀後半の楚の成王が皇太子を廃して、次男を後継ぎとして擁立しようと計ったところ、皇太子が事前に父王の動きを察知して、兵を挙(あ)げて王宮を囲み、父王を捕えた。父王を弑(し)いようとしたところ、成王は今生の最後の願いとして、熊掌の料理を食べたいと、嘆願した。
熊のテノヒラは中華料理のなかでも、絶品とされている。皇太子はそれを拒んで、父王の生命を奪ったという。
私は香港を訪れて中華料理店で接待された時に、店のチーフコックと話したいと頼んで、熊のテノヒラ料理をつくるのに、どのくらいの時間を必要とするか、質問した。
私の勘が当たった。答は三日だった。きっと、成王はその間に逃げるか、救けがくることを目論んだのにちがいない。
中国は、素晴らしい政治・芸術・生活・食文化を創造して、人類に貢献してきた。しかし、しばしば食への執着が悪い形をとって現われる。
台湾、チベット、新疆、内モンゴル(モンゴル側の呼称では南モンゴル)は、中国――漢族の国有の領土の一部ではない。周辺地域が、悪食(あくじき)の対象となる。
中国には、長いあいだにわたって国の名前がなかった。天子である中国の皇帝が全世界を支配していると、みなしたからである。
隋、唐、元、明、清などは、みなすべて王朝の名である。ところが19世紀に入って、イギリスと阿片戦争を戦って敗れ、国際条約を結ぶために、王朝名をはじめて国名として用いた。第二次阿片戦争、フランスとの戦争にも負けたために、清が国名となった。
中国の周辺諸国は、日本を除いてすべて中国に入貢する屈国だった。これらの諸国の王は中国皇帝から冊封――任命を受けた。中国を頂点とする華夷秩序である。
日本は聖徳太子が西暦600年に隋の皇帝に、「日出する処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」という書簡を送って、独立を宣明した。日本は中国を取り巻く国のなかで、変種だった。隋の皇帝は聖徳太子の書簡を読んで、一日中、機嫌を害していたという。
色彩感覚をとっても、アジアのほかの諸国はみな極彩色を用いるが、日本は落着いた中間色を好んできた。韓流ドラマにでてくる派手な配色をみるたびに、日本とのあいだに何と大きな距離があるのか、感じさせられる。
日本人は公徳心を尊んで、和を重じ、進んで法律を守るが、これはアジアの民よりも、ヨーロッパに近い。
日本がアジアとお付き合いをするためには、アジアのことをもっと学ばねばならない。
なぜ、日本と他のアジアの民族は、このように異なっているのだろうか。日本はアジアのなかで、独特な国を形成している。縄文時代にまで遡って、日本の歴史を学ばねばなるまい。
(2009.11)