加瀬英明のコラム
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  ご投稿ありがとうございます。
    Date : 2012/02/06 (Mon)
 安江高亮様

 ご投稿ありがとうございます。

 世界に対する日本の卑屈は、昭和20年8月15日以前の歴史を、捨ててしまったことにあります。多くの日本国民がアメリカは歴史が浅い国だといって軽蔑しますが、世界のなかで歴史がもっとも浅い国は、日本です。
 
 歴史は国の魂です。日本は魂のない、抜け殻のような国になってしまいました。

 正しい歴史を取り戻しましよう!
                            加瀬英明


  日韓関係を正そう
    Date : 2012/02/03 (Fri)
 昨年12月に、韓国の李明博大統領が来日して、日韓首脳会談が行われた。

 李大統領は会談直前に、政府の事実上の認可のもとに、ソウルの日本大使館の前に、慰安婦像が設置されたことを取り上げて、「日本が旧慰安婦に対して補償しなければ、韓国内に第2、第3の慰安婦記念碑が建つこととなろう」といって、野田首相を恫喝した。
 
 野田首相は日本大使館前の慰安婦像を、直ちに撤去することを要求したうえで、「それがお出来になれなければ、国内に1千、2千、1万の慰安婦像をお建てになればよい。そうすれば、韓国が売春婦の国として世界に有名になることでしよう」といって、李大統領をたしなめるべきだった。

 1965年の日韓基本条約

 韓国は1965年に日韓基本条約が結ばれた時に、日本が韓国に多額の経済協力金を提供することと引き換えに、日本に対する請求権をいっさい放棄することを、約束している。また、慰安婦像を日本大使館の前に設置した行為は、外国公館の尊厳を守ることを義務づけたウイーン条約にも、違反している。

 これでは、韓国は野蛮国だといわれても、仕方あるまい。隣国の名誉のために、惜まれる。

 国際法は国内法に優先する

 韓国の最高裁が、政府に日本から旧慰安婦に対して補償を要求することを、義務づけているというが、非常識はなはだしい。国際条約は、国内法に優先する。大統領は国家元首として、条約が神聖なものであるといって、最高裁を叱責しないのか。

 私は日韓基本条約によって、国交が樹立された前年にはじめて訪韓してから、韓国政府や、研究所の招きによって、韓国を頻繁に訪れた。多くの親しい友人ができた。

 1980年代に訪れた時に、韓国ですでに慰安婦問題が取沙汰されていた。私が朴正熙政権の元高官に、「もし韓国政府が慰安婦を日本から不当に虐待された被害者だと認定したとすれば、韓国政府がどうして補償しないのでしようか」と、たずねた。この高官には、日本時代に軍歴があった。

 韓国では前大戦中に日本軍に従って戦場に赴いた慰安婦を、「従軍(チョングン)慰安婦(ウイアンプ)」とか、「軍隊(グンデ)慰安婦(ウイアンプ)」「強制(カンゼ)慰安婦(ウイアンプ)」と呼んでいる。

 すると、「いや慰安婦は、全員戦地に稼ぎにいった醜業婦でしたから、その必要はありません」という答が、戻ってきた。

 私は韓国が経済的に発展するうちに、いつのまにか未熟な国となってしまったと思う。そのあいだに、日本は1980年代に入ってから、しだいに気骨を失なった。

 韓国は竹島(韓国側の呼稱では独島(ドクト))問題をとっても、軍隊を置いて実効支配しているのに、恒久施設を建設したり、島で国会の委員会を行ったり、ファッション・ショーや、音楽会を開催することによって、そのたびに日本を辱しめて、快哉を叫んでいる。韓国海軍最大の上陸強襲艦を、『独島』と命名している。

 12月19日に、朝鮮民主主義人民共和国――北朝鮮の最高権力者である、金正日中央軍事委員長が死んだ。

 28日に、葬儀が営まれた。遺体が一面の白雪のなかを、保存状況がきわめて良好な1970年代製のアメリカ製のリンカーン・コンチネンタルの屋根に乗せられて、右側に20代で3代目の後継者となった、金正恩人民軍大将が徒歩で付き添って、ピョンヤンの中心街を進んだ。

遺体を運ぶ先頭の車のあとに、屋根のうえに「太陽のごとき偉大な領袖」「民族の不世出の英雄」「絶世の軍事戦略家」と呼ばれた、先代の肖像写真を固定した、もう1台のリンカーン・コンチネンタルが続き、3台目もやはりリンカーン・コンチネンタルだったが、巨大な花環を乗せていた。あのリンカーンのリムジンは、1994年の金日成主席の葬列に当たっても用いられた。アメリカの高級車が、北朝鮮の体制の権威を支えるために使われていたのは、何とも場違いだった。

 テレビの映像では、沿道に並んだ市民が全員、天も地も裂けよと、号泣していた。

 民族の文化

 私は韓国で葬儀に招かれた時に体験したが、遺族がまったく同じように号泣しているのに、異郷に来たのだと実感したことがあった。これは文化の形であるが、韓国語で「クゲ・ウルブチタ」(声を張りあげて、声のかぎりに泣く)という。

 私は韓国で、愛人がいる男の妻が死んだところ、葬儀のあいだ人前で号泣するが、厠に入ると喜んで、声を押し殺して笑うという小咄を、聞いたことがあった。この小咄は韓国人なら、誰でも知っているということだった。あの日、ピョンヤンの便所は笑顔によって満ちたものだろうか。

 韓国人はしばしば感情を、爆発させる。TPPに反対する国会議員や、農民が「決死(キョルサ)反対(バンデ)!」と、絶叫する。1月末に北朝鮮の映像を見ていたら、金正恩を迎えた群衆が「金(キム)正恩(ジョンウン・)決死(キョルサ)擁護(オンホ)!」と、繰り返し叫んでいた。

 酒席では、いまでも男たちが「死ぬまで(マシゴ・)飲も(チュプ)う(チャ)!」とか、「マシゴ・ハムケ・チュプチャ!」(一緒に死ぬまで飲もう!)といって、威勢よく杯を挙げる。

 私が韓国を頻繁に訪れたころには、ビールをなみなみと注いだコップに、ウイスキーをみたしたワンショット・グラスを沈めて飲むのを、「爆弾(ボクダン)酒(チュ)」といって流行っていた。

 いまでは、「爆弾酒」のコップのうえをラップで覆ったうえで、カクテルのシェーカーのように振ってから穴をあけると、ビールで割ったウイスキーが勢いよく噴きでるのを、「射精(サジョン)酒(チュ)」と呼んで流行っているという。
昨年、韓国の大企業の役員が来日して、赤坂のクラブに案内された時に、「射精酒」を実演してくれた。「韓国人はこれを何杯もやって、頭からビショ濡れになるまで飲んで、楽しむのです」と、クラブのマダムが教えてくれた。 

 ふだんはおとなしいのに、いったんハンドルを握って、運転すると荒々しくなって、交通法規を守らない者が多い。「過激運転(ファギョカン・ウンジョン)」というが、最近まで「ファギョカン・ウンジョンをやめよう」という公共CMが、テレビで流されていた。

 なぜ日本に対してだけ居丈高なのか

 韓国はアメリカをはじめとする外国に対しては、節度を弁えて接するのに、日本となると居丈高になって、感情を爆発させる。韓国人は日常、つねに相手を出身校や、親の社会的な地位によって、自分との上下を判断する。住みにくい社会である。情緒不安定な人々だ。

 しかし、韓国がことあるごとに、日本を嬲(なぶ)りものにするのは、韓国のせいではない。日本が卑屈な態度を、とってきたためだ。おうおうにして、苛めっ子は弱虫の子がいるから、苛めを募らせるものだ。

 日本は韓国に対して卑屈に振る舞うことによって、日韓の2国間関係を歪めているだけでなく、中国や、ロシアからも侮りを招いて、嬲られる。

 私は昨年12月に、6ヶ月ぶりにワシントンに戻った。量販店を覗くと、韓国製のサムソンや、LGの家電製品が、日本製品を圧倒していた。

 往復する機内で、フランスでベストセラーになっている小説を読んだ。主人公のフランス人カメラマンが韓国の「Samsung ZRT-AV2カメラが、ニコンや、キャノンよりも上をいっている」と述べていたので、嬉しくなった。

 相互理解、相互敬意を

 韓国の経済発展は、日本統治の賜物である。台湾についても、同じことだ。台湾と海南島は面積がほぼ同じだが、もし日清戦争後に日本が台湾ではなく海南島を割譲されていたとしたら、海南島が今日の台湾のように発展し、台湾は今日の海南島と変わらない経済水準にあったはずだ。

 もし韓国が中国の属国であり続けたか、ロシアの統治下に置かれたとすれば、今日の韓国は中国の東北部か、旧ソ連の中央アジアの共和国の水準にあっただろう。

 私は今日の韓国が日本を淩駕する勢いをみせているのは、私たちの勲章だと思って喜んでいる。


  日本の少子高齢化を阻むために
    Date : 2012/01/31 (Tue)
 厚生労働省が2060年までの日本の将来推定人口を発表したが、現在の1億2800万人から、8600万人にまで減るという。それも、人口の4割が65歳以上の高齢者になるという。

 私はいくつかの大学で、教鞭をとった。 授業のあとで、学生たちを喫茶店に誘った。

 20年以上前は、女子学生にどのような男性を好むのかと質問すると、きまったように「男らしい人」という返事が戻ってきた。

 ところが、このところ女子学生の全員が「優しい人」と答える。

 20数年前は「優しい男」といえば、「優男」(やさおとこ)といって、軽蔑されたものだった。頼りがいない、柔弱な男をいった。女の機嫌をとる男は、「女誑」(おんなたらし)が多かった。

 薬局を覗くと、男性用の化粧品が並んでいる。このごろの男性は着せ替え人形のように、べべ(幼児語で着る物)を買い求める。

 男が魅力を失なった。日本から男がいなくなった。これでは、少子化が進むのは当り前のことだ。女は機嫌をとるものではなく、男についてくるものだ。

 昨年なかばに、私立大学の経営者の協会に招かれて、講演をした。

 何でも日本には、700以上の私立大学があるということだった。

 少子化が急速に進んでいるために、日本が力を失うようになっているが、もう1つの大きな要因が、この40年あまり似非(えせ)教育を、働くことの上に置いてきたためだ。猫も杓子(しゃくし)も、大学にゆく。杓子は今では差別語になるが、下層の飯盛り女をいった。

 大学を卒業しないと、肩身が狭い。それよりも働くことの尊さを、中心に据えた社会をつくるべきだ。中学、高校を出たら、すぐに働く若者をこぞって称えよう。

 青年が額に汗して一所懸命に働く姿は、美しい。乙女たちはその崇高な姿に胸をときめかせて、憧れるようになろう。

 この国をつくってきたのは、男らしい男と、働くことに生き甲斐を求める男だちだ。

 女も、中卒でよい。福沢諭吉、大隈重信、東郷平八郎、小村寿太郎、後藤新平と、明治の日本を築いてくれた偉材を、生年順に思いつくままにあげても、傑出した日本人をつくったのは、日本の母たちによる躾だった。

 人類史に光を放った日本を産んだ、これらの母たちは誰一人として、中学校にも行かなかった。世界一の母がその母たちの訓育によって、育てられた。

 日本は家庭における躾を重んじることによってのみ、再生しよう。


  日本イスラエル国交60周年記念シンポジウムの御案内(2/14)
    Date : 2012/01/31 (Tue)
 今年は、日本と新生イスラエルが国交関係を樹立してから、60周年の節目の年に当たる。

 日本とイスラエルはおよそ距離にして9000キロ離れているが、日本の存在がアジア太平洋の平和の礎となっているように、イスラエルが中東の平和と安定を支えている。

 両国は生い立ちから文化まで大きく違っているが、共通点が多いことに驚かされる。

 日本民族とユダヤ民族は、道徳性がきわめて高く、勤勉で、教育を重んじ、歴史を通じて創造力に富んできた。
そのために、西洋の白人・キリスト教徒が世界にわたって覇権を握るなかで、ユダヤ民族が近代に入ると、それまで閉じ込められていたゲットー(ユダヤ人街)から解放され、日本民族は19世紀後半になって鎖国を解いて国際社会に加わると、この2つの民族だけが白人に負けない、目覚ましい興隆を遂げた。

 日本民族とユダヤ民族は、いわれない差別を蒙ってきたために、差別のない平等な世界を創ることを希求して、力を盡した。今日、人種平等の世界が呼び寄せられて、アジア・アフリカの時代の幕が上がったのは、両民族に負うものである。

 日本が“和の民族”であって、専制や独裁を嫌って、つねに合議制をとってきたのに対して、ユダヤ人も同じようにゲットーや村落において、合議による自治を行なってきた。日本では武家よりも庶民が、自由で豊かな生活を営んでいた。日本とユダヤ人社会では、西洋や、中国、朝鮮をはじめとする諸国にみられた厳しい階級差別が、存在しなかった。

 両民族は何よりも学ぶことを重んじて、科学技術と富の創出を通じて、人類の発展に大きく貢献してきた。

 私は昭和天皇にお仕えした入江相政侍従長と親しかったが、昭和天皇は新任のイスラエル大使が信任状を奉呈するたびに、あの独特なご口調で、「日本はユダヤ民族に対する感謝の念を、けつして忘れません」と仰言った。

 日露戦争に当たって、ユダヤ民族だけが日本を援けて、戦費の半分近くを賄った。

 日本は人種平等の理想を掲げるとともに、ユダヤ民族への恩義にこたえ、世界のなかで日本だけが、前大戦前夜に満州、あるいは東ヨーロッパにおいて、多くのユダヤ人難民をナチス・ドイツのおぞましい迫害から救った。

両国が協力関係をいっそう強めてゆくことを、願いたい。
加瀬 英明

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JIFAシンポジウム 「育もう未来――日本とイスラエルの協力で」

日本・イスラエル国交60周年記念シンポジウム

 日本が戦後独立を回復した直後の1952年5月、日本とイスラエルは国交を樹立しました。2012年には国交60周年を迎えます。

 両国はこの間、順調に友好・協力関係を築き上げてきましたが、60周年を期して、政治的に、経済的に、文化的に、さらに科学技術の面からも一層深い協力関係を育んでいく必要があります。激動する国際社会にあって、両国が力をあわせ、相乗効果を発揮するならば、世界にとっても、両国にとっても大きな未来が開けるでしょう。

 この観点にたって、国交60周年を記念するシンポジウムを開催いたします。シンポジウムには、日本、イスラエル両国各界の有力なパネリストをお迎えしており、両国関係の今後について具体的なご提案が得られるものと考えています。

 是非ご来場ください。入場は無料です。

http://www.japan-israel-friendship.or.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=85

社団法人 日本・イスラエル親善協会 
会 長  神 藤  燿
副会長 加 瀬 英 明
(国交60周年記念事業委員会委員長)

ご来場くださる方は以下の申し込みフォームにて、2月6日までにご登録ください。
定員(300人)になれば申込みを締切ります。以下のアドレスからお申し込み下さい。

http://www.japan-israel-friendship.or.jp/modules/jifa/index.php?content_id=13

開催日時  2012年2月14日(火) 午後1時30分―4時30分

開催場所  参議院議員会館講堂

 【開催要項】

13:30 開会挨拶

13:50 基調講演  ベンアミ・シロニー・ヘブライ大学名誉教授

14:10 パネル・ディスカッション第一部(政治・国際関係)

  [コーディネーター]
   加瀬英明・日本・イスラエル親善協会副会長

  [パネリスト
   ニシム・ベンシトリット・駐日イスラエル大使
   榛葉賀津也・参議院議員
   池田明史・東洋英和女学院大学副学長

15:10 休憩
  武道演武 エリ・コーヘン・前駐日イスラエル大使

15:30 パネル・ディスカッション第二部(文化・経済関係)

  [コーディネーター]
   村松英子・日本・イスラエル親善協会副会長

  [パネリスト]
   ベンアミ・シロニー・ヘブライ大学名誉教授
   三好正也・元経済団体連合会事務総長
   ジブ・クレメール・ネタフィム・ジャパン社長

16:30 閉会

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          主 催  社団法人 日本・イスラエル親善協会
          共 催  日本イスラエル友好議員連盟
          後 援  外務省、駐日本イスラエル大使館
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*入場は無料です。
*会場の参議院議員会館講堂は、国会議事堂後ろの参議院議員会館1階にあります。
*参議院議員会館は、地下鉄永田町駅1番出口のすぐ右です。また、地下鉄国会議事堂前駅1番出口から右方へ徒歩約5分です。


  日本の状況の劣化を嘆く
    Date : 2012/01/25 (Wed)
 年末に、日頃敬愛している伊藤玲子先生が、私の仕事場をたずねて下さった。偶然その時に、親しい友人で、女優の村松英子さんが寄ってくれていたので、3人で来年こそは、日本を立ち直らせなければならないと、意見を交わした。

 私はもう何十年になろうか、日本を憂うる同志と、この国に正気をふたたび宿らせるために戦ってきたが、日本の状況が年を追うごとに劣化していると、嘆いた。

 「もう、20年も前のことになりますが、私はある夜、11時ごろに新宿にいました。どこを見ても、若い男女が頭を茶髪や金髪に染めて、遊び呆けていました。私はその時に、ふと先の大戦で生命を捧げた御英霊が日本に凱旋して、失われた青春を取り戻そうとして、若者の姿をかりて遊んでいるにちがいない、しかし、日本が危機に見舞われる時には、これらの若者たちもきっと日本を護るために、立ち上がってくれるだろうと、思いました。

 私たちに与えられた仕事は、日本が万一、危機に直面する場合に、国民の国を愛する精神を高く燃えあがらせるために、火種をつねに絶やさないことです。火種は勢いがよいほど、役に立ちます。それが、私たち保守陣営の使命だと、思います」と、いった。

 伊藤先生も、村松さんも、大いに賛成してくれた。2人の麗人が「“火種の会”をつくりましょうよ」と、身を乗り出した。

 伊藤先生は85歳になられるのに、この国を守るために、沖縄から北海道まで奔走されている。私たちも伊藤先生に従って、日本を蘇生させるために、渾身の力を振りしぼらなければならない。私の新年の誓いである。

 じきに梅の蕾が開く。誰が作者なのか忘れたが、「火種ない家を守るか梅の花」という句があった。

 日本が火種のない空き家になってはなるまい。


  皇室を戴く日本の国の素晴らしさ
    Date : 2012/01/23 (Mon)
「天皇のない日本」は日本ではない

 先日、「柏朋会」という、ェ仁親王殿下が主宰されている身障者の福祉団体のお招きを受けたので参りましたら、突然挨拶をするようにと言われ、そこで私はこういう話をしました。

 ――3カ月前、ちょうど野田内閣が発足した後にパーティーが催され、そこで以前から親しくしている中国の高官とばったり会いました。そこで、「日本では5年間で6人も首相が交代しました」と言ったら、この高官が「お国は人材が豊富ですから」と言って皮肉られました。

 しかし、5年間に6人の首相が交代しても、日本国民は不安にかられて狼狽しているようなところが見受けられません。本来であれば、朝食も喉に通らないような不安を抱くはずなのに、落ち着いているわけです。

 これはやはりご皇室があるためで、ご皇室の存在がいかに大切かということは、今回の東日本大震災もそうですし、こうした政治が不在の時でも日本は不思議なほど安定感を失っていない、というところに私は感じております。

 本来ならば、私たちはご皇室にご心配をおかけしないように生きるのが務めであるのに、私は殿下をはじめご皇室の皆様にご心配をおかけしていることをお詫びしなければなりません――そのようなことを、そこで申し上げたのです。

 「天皇のない日本」というのは日本ではありません。日本国民はもっと、お隣の中国、朝鮮半島の歴史を知るべきだと思います。わが国との一番大きな違いはどこにあるのでしょうか。中国では「易姓革命」と言って、この3000年の間に、40ぐらいの王朝――同時に10ぐらい並立していたこともありますから――が興っては滅びているわけです。

 「易姓革命」とは何かと言いますと、中国の皇帝は「天子」と呼ばれますが、これは最高神である「天帝」の天命を受けて、一番徳のある者が天子の座に就くとされているわけです。そして、「徳を失った」ということになると、人民の間から徳を備えた新たな者が興って、前の王朝を倒し、新しい王朝を開く。しかし、この「徳を失った」、あるいは「徳を持っている」というのは、暴力革命の正当化に過ぎません。

 一方、日本は125代にわたって、同じ天皇様を戴いています。そして、日本では「天皇が徳を独占している」ということはありません。ですから、大きな天災が起こると、その時々の天皇が国民に詫びる詔をしばしば出しておられます。

 例えば、平安初期の平城天皇(第51代)は、大規模な水害が起こった時、「朕のまごころが天に通じず、天災を招いたことについて、その責任は朕一人にある」と詫びておられるわけです。その他でも、第45代の聖武天皇、あるいは第56代の清和天皇が、同じように自分が徳を欠いていたことを詫びる詔勅を出しておられます。

 こういうことは、中国や朝鮮半島では考えられないことです。朝鮮半島はずっと中国の属国でしたから、歴代の王朝は「小中華」と言って、中国の完全なコピーであることを大変誇りにしていました。ですから、「日本マイナス天皇」という数式を考えてみますと、それは「イコール中国、朝鮮」になると私は思います。

 日本文化のやさしさ――和の精神

 日本文化の一番の「やさしさ」はどこにあるのかといいますと、やはり「和の精神」だと思います。私は英語の仕事をしていて、内閣の外交顧問として対米折衝のお手伝いをしたこともありますが、日本の「和」という言葉は外国語に翻訳できないのです。これは、中国語の「和」とも、英語の「harmony」とも全く違うものです。

 日本の文化が非常に「やさしい」ということは、謙虚な文化だということです。その一番よい例が、7世紀に聖徳太子が公布された17条憲法です。第1条は「和を以て貴しとなす」から始まって、第10条が「自分だけが賢いと思ってはいけません、他の人にはそれぞれの考えと思いがあるものです」、それから第17条は「大切なことはみんなでよく相談して決めなさい。全員で合意したことは正しい」というものです。これは世界で最古の民主憲法です。

 日本は神代の時代から、そういった和の精神があるわけです。私は比較神話と比較宗教の本を最近出しましたが、日本の神話は、韓国、中国、インドから、中東、ヨーロッパに至るまでのいずれの神話と比べても、これほどやさしい神話は存在しません。ギリシャ神話にしろ、ローマ神話にしろ、他の神話は非常に残虐、残酷なものです。

 日本の神話には天照大御神(あまてらすおおみかみ)の話があります。高天原で大御神が一所懸命働いておられる稲田に、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)が乱暴を働いて畔(あぜ)を壊した上、神殿に大便をまき散らしますが、大御神はお怒りにならず、「弟は酔っぱらっていたのだろう」と言ってお許しになります。

 すると、須佐之男命は今度は大御神が重要なお祭りに備えて衣を織らせていた小屋の天井に穴を開けて、そこから馬の血だらけの死体を投げ込んでしまう。それを大神がお怒りになるのですが、弟を罰する代わりに、天の岩屋戸にお隠れになってしまうのです。

 大御神は太陽神ですから、全世界が真っ暗になってしまいます。すると、八百万(やおよろず)の神々が天の岩屋戸の前に集まって、相談されるわけです。1番初めは、尾長鳥を連れてきて鳴かせますが、これは功を奏しない。次には、女の神様に、「乳房をあらわにして」と書かれていますが、滑稽な踊りをさせる。すると、八百万の神がどっと笑う。そこで、大御神が好奇心にかられて岩屋戸を少し開けて身を乗り出されたところを、力持ちの男の神様が引き出して、それで光が戻ったという話です。

 これが外国の神話ですと、必ず最高神が全権を持っているわけです。ところが日本には、そういった全権を持った「万能の神」というのはおいでになりません。そして、天津神が日本列島に降りてくると、国津神と戦うことなく一緒になってしまいます。これもやさしいですね。

 それから、神道は日本の最古の信仰ですが、「神道」という言葉はかなり新く、日本書紀に始まった言葉です。もともと名前がなかったのが、仏教が入ってくることによって、外来神に対して「神道」という名前が作られるわけです。ここでも、外来神がそれまで日本にあった神々を自分のものにしてしまうというようなことはなく、神仏が混淆(こんこう)して共存します。

 キリスト教などは、ご承知のように今のイスラエルの地で生まれ、その後、地中海からヨーロッパに伝わって世界的な宗教になります。しかし、その過程で、キリスト教はヨーロッパにあった多神教を吸収し、多神教は消滅してしまうのです。クリスマスももともとは多神教の習慣で、キリスト教のものではありません。

 日本には「宗教」という言葉は、明治に入るまでありませんでした。それ以前に「宗門」「宗派」「宗旨」という言葉はありましたが、自分の信仰だけが絶対的に正しくて、他の信仰を全て否定し、排斥するという考え方は、日本人にはなかった。明治に入って、「religion」の訳語として、「宗教」という新しい言葉を作ったわけです。

 あるいは、「nature」を指す「自然」という言葉も江戸時代には存在せず、明治に入ってから訳語として作られました。確かにそれ以前も、仏教用語として「じねん」と読ませることはありましたが、これは全く違う意味です。それまでは、人間も自然もこの宇宙の中の1つの存在でしかなく、分け隔てがなかったのです。

 しかし、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教――これは同じ神を拝む3部作の宗教ですが、ユダヤ教の聖書であり、キリスト教では旧約聖書と呼んでいる聖書のはじめに出てくる、神の人間に対する一番最初の命令は、「自然を支配し、思うがままに使うがよい」というものです。

 日本にはそのように「人間」と「自然」が対立しているという考え方がないわけです。そして、「神」と「神」の間の対立もありません。これが「和」の精神で、日本以外にはないものです。

 「祭り」と「お歌」

 そして、日本の頂点にずっとおいでになった天皇も、謙虚なのです。今の陛下は125代目に当たられますが、この125人の中で、贅(ぜい)を極めた方というのは1人もおいでになりません。それから、恣(ほしいまま)に独裁を行った方もいらっしゃらない。そもそも、「独裁者」とか「指導者」という言葉も、明治以降に「dictator」「leader」という言葉が入ってきて、その訳語として作られたものです。

 今、「中東の民主化」などと言われ、「民主化」という言葉が世界中を風靡(ふうび)していますが、日本は神代時代から民主主義があった国であり、その素晴らしい「和」の社会を束ねてこられたのが、天皇でいらっしゃるわけです。

 日本は不思議なことに、超先進国になった今でも、「古代」が私たちの生活の中に生きています。例えば、宮中では、日本民族がまだ文字を持つ以前からの伝統である宮中祭祀が行われています。宮中祭祀の中でも一番重要なお祭りが「新嘗祭」です。

 新嘗祭は、そこに天照大御神が降りてこられ、陛下が新穀をおすすめして、天照大御神とご一緒に新穀を召し上がられるという神聖な儀式で、その時に使われるお皿は柏の葉です。それから、箸は今の私たちが使っている2本棒の箸ではなくて、竹を火で炙ってピンセット状にした、箸の原型と言われるもので、毎年京都の石清水八幡宮で切り出された竹が宮中に献上されて、それで作っています。陛下が柏の葉に新穀を盛り付けられ、ピンセット状の竹の箸で大御神におすすめし、ご自分もご一緒にお食べになる、というのがこの儀式の一番中心にあるわけです。

 あるいは、来年は伊勢の式年遷宮が行われます。式年遷宮は、20年ごとに全く同じご社殿を作って、御霊をお遷しする儀式ですが、これも世界に類例のないことです。古代ギリシャの神殿パンテオンや、ローマのコロシアムは今では遺跡になっていますが、伊勢神宮は遺跡ではありません。遷宮は、他にも熱田神宮などの大きな神社で多く行われています。

 また、新聞の朝刊などに時々、和歌と俳句の投稿欄が載ります。そこに出てくる和歌の形式は、日本書紀に載っている一番初めに須佐之男命お詠みになったというお歌をはじめ百首余りの歌――当時はまだひらがながなく、漢字を表音文字として使っているのですが――の形式と全く変わらないのです。英文学にしろ、フランス文学にしろ、ドイツ文学にしろ、中国文学にしろ、古代詩と現代詩は全く形式が違うのですが、日本だけは同じなのです。中国、朝鮮半島では易姓革命が起こるたびに、その前の文化が否定されてきましたが、日本では、古代の文化が今日まで脈々と生き続けているのです。

 それでは、天皇のお役目とは何でしょうか。それをなさらなかったら、天皇が天皇でなくなってしまうというものは何でしょうか。それは2つあると思います。1つは、宮中のお祭りをなさることと、もう1つは、お歌の伝統を継いでいかれることです。国会の開会式にご臨席になるとか、外国の元首を迎えて宮中晩餐会をなさるとか、閣僚を認証なさるなどというのは、今の制度の枠の中でのお仕事にすぎず、125代に渡って綿々として続けてこられたのは「祭り」と「お歌」です。

 年が明けますと、宮中でお歌会始が行われます。テレビで1部を放映していますが、毎年御題が出されて国民から公募し、天皇をはじめ皇族の方々が入選者とご一緒に歌会をなさるものですが、そこでのお歌は2回繰り返して朗々と歌うように詠まれるわけです。これは、良い言葉を発すると世界の現実が言葉にそって良いものになるという言霊信仰からきていて、1つの祈りの形式なのです。ですから、日本を束ねているのは「祈り」の精神であり、日本文化の一番の根を支えておられるのがご皇室なのです。

 「女性宮家」は「女系天皇」への入り口

 昨年の終わりに、政府が突然「女性宮家の創設」ということを言い出しましたが、これは恐らく「女系天皇」への入り口となるもので、大変危険なことです。皇統はこれまで、125代にわたって男系で受け継がれてきました。これが女系に代わった場合には、天皇という、私たち日本国民にとって最大の無形の財産が壊されてしまいます。

 私は、ェ仁親王殿下にこういうことを申し上げたことがあります。

 「もし女系の天皇でよいということになったら、『歌舞伎に女優を出せ』というのと変わらなくなってしまいます。1つの伝統というものは、作り上げるのに最低でも1000年以上かかるでしょう。しかし壊すのは一瞬でできます。ですから、どんなことがあっても男系を繋いでいかなければ、天皇家が天皇家でなくなってしまいます」

 そうしましたら、殿下も「その通りです」と仰られました。

 私は小堀桂一郎先生などとご一緒に、この問題で2年間研究会を続けましたが、私たちの結論は、皇室典範を改めることなく臨時措置法を以て、占領下でアメリカが臣籍降下を強いた11宮家の中で、30歳以上くらいの男性――旧皇族のお孫さんにあたられますが――の中から相応しい方を3人か4人選んで、皇籍に戻っていただくことが一番良いというものです。

 よく「60年も皇籍を離れていた人たちが宮様になったら、国民が馴染めない」などと言う人がいます。少々俗っぽい話になりますが、時々「ニセ皇族」というのが現れて何億円も詐欺を働くという事件が起こりますね。ニセ皇族でさえ国民はそれだけお金を渡すわけですから、本物が皇族として戻った場合に国民が馴染めないなどということは、絶対にないと思います。

 また、イギリスの王室が「長子優先」を採用したと言われますが、ヨーロッパの王室と日本の皇室を比べることは全くできません。ヨーロッパの王室は、全部外国人です。今のイギリスの王室はもともとフランス人で、イギリス人ではないのです。そして、たびたびドイツの王家から血を引いてきています。例えば、ヴィクトリア女王の配偶殿下はドイツ人です。それで、次の代に王家の名前も「ハノーヴァー家」からドイツの王家の「サクス・コバーグ・ゴーサ家」に変えました。しかし、第1次大戦でドイツと戦争になった時に、ドイツの王家の名前では都合が悪いというので、ウィンザー城の名前をとって今の「ウィンザー家」になったわけです。ですから、日本の皇室とは成り立ちが全く違います。

 今年は、もしかすると女系宮家創設へ向けて、事態が早く動くかもしれません。私たちとしてはあくまでも、今の各宮家の女王がそのまま宮家を創設される、あるいは宮家を継ぐのではなくて、旧皇族のお孫さんで相応しい方と結婚されることを前提として、女性宮家というよりも、旧皇族のお名前を宮家として復活させた方がよいと考えております。

 今や、「日本国憲法は、占領下でアメリカが日本に強要したもので、現実にそぐわないものだから改正しなければならない」という声が国民の多数を占めるようになりました。それだったら同じように、11宮家の臣籍降下はアメリカが占領下で日本を弱体化するために強いたわけですから、どうしてこれを本来あるべき姿に近い状態に戻そうという声がもっと大きくならないのでしょうか。

 小泉首相の有識者会議は、「女系天皇」ということを打ち出しましたが、これはアメリカの占領軍でさえ行わなかったことです。「女系宮家」というと一般の人には聞こえはいいですが、これは今問題になっているTPPなどよりも、はるかに大切な問題です。

 民主党の中にも「男系を守らなければならない」という意見を持った人は多くいます。今年は危機感を持って、皆さんとご一緒に「女系天皇」に繋がる動きを阻止したいと思っております。


  小鳥と分けあう 春の豊かな饗宴
    Date : 2012/01/20 (Fri)
 新年が巡ってくると、また年賀状を交換する。

 もっとも、新春を寿ぐといっても、明治の御代に入ってから西洋を真似て、太陽暦を採用したために、春はしばし待たれる。

 青春は春夢とも、呼ばれる。人生のはかなさを意味するが、夏夢や秋夢や冬夢という言葉はない。

 清少納言が枕草子のなかで、ただ過ぎてゆくものとして、「帆をあげたる船、人の齢(よわい)、春夏秋冬」をあげている。

 熟年になると、四季も、齢もただ過ぎてゆく実感が強まる。

 今年も、印刷した年賀状が多かった。今日では船がエンジンで動くようになって、帆掛け船が見られなくなったように、筆と硯(すずり)が機械によって置き換えられてしまったから、仕方あるまい。だが、初恋の女性から印刷した年賀状を貰ったら、興醒めしてしまおう。

 初恋の女性も、齢を重ねていよう。しかし、菫(すみれ)は枯れても、想いが残るものだ。いや、早春は、可憐な梅の花だ。だが、熟年に達してしまうと、蕪村が「水に散りて花なくなりぬ岸の梅」と歌ったようなことになる。

 花は、色うつろう。それでも、老いてしまった昔の恋人と、しみじみとした時間を過すのも、楽しいものだろう。思い出は独りではなく、2人で紡ぎたい。小唄に「二人のなかに置炬燵(おきごたつ)」という句があるが、男も女も過ぎた日の夢を大切にして、美しく老いたい。

 法隆寺や薬師寺を訪れると、昔の色が剥(は)げてしまっても、そのままにしている。剥落(はくらく)の美が、心をなごませる。

 このごろの老女といえば、西洋人の老婆のように、顔を厚く塗りたくっている。まるで中国の古い寺院を訪ねると、赤や青や丹の原色で、異様にくまなく塗り潰しているようで、見ぐるしい。人も、剥落の美があるべきだ。

 西洋の春を歌った詩は、絢爛たる黄金の春を讃えるものばかりで、直截的だから興醒めする。日本では、「春はあけぼの」と枕草子が始まっているように、私たちは五感よりも、心を用いる。情緒を大事にする。

 このごろの日本の老女は羞(はじら)いもなく、これ見よがしに、ダイヤモンドなどの宝石や、真珠で飾り立てるが、似合わない。いったい、『源氏物語』の女性たちが、宝石を装ったものだろうか。日本人に宝石はなじまない。

 私の青春時代には、新橋や赤坂や神楽坂の花街で、深水の絵から抜け出したような、島田を結いあげた佳人が通るのを見て、わきから胸をときめかしたものだった。この国の原風景だった。

 いまの日本の女性から残念なことに、花を連想できない。ジャングルを行く特殊部隊が顔に迷彩を施しているように、眼のまわりや睫毛を、アイライナーやマスカラの墨を使って塗りたくっている。日本から目が涼しい女性が、いなくなった。

 巷(ちまた)に妖怪がみちるようになった。日本人は宝石や金(きん)のように、永遠に変わらないものに、価値をみることがなかった。

 人生の一瞬一瞬ごとを、尊んだ。日本には耐久財というような言葉がなかった。このごろの女性をみると、生花ではない。香りがない造花になった。

 西洋の悪臭に近い香水には、しりごみさせられる。つい4、50年前までは、女性が直截的に自己を主張することがなかった。あの麝(じゃ)香のそこはかとなくほんのりと漂う香りに、女心(おんなごころ)が伝わってきた。

 齢を重ねるほど、若かった日々よりも、時間が貴重なものになる。「あだしが原の道の霜、ひと足ずつに消えてゆく‥‥」という、近松の『曽根崎心中』のことばと囃しが、胸を打つ。

 ぼくは春の雨を好む。細い雨が、音もなく降る。和泉式部が「青柳の糸に玉ぬく春の雨身を知る雨と思いはるかな」と、怨みをこめて詠んだのを想う。

 虚子の「春雨(はるさめ)の衣桁(いげた)に重し恋心」も、よい。今日の日本人から春雨を味わうゆとりが、失われた。
そぼそぼと降る春雨に、蛇の目で添い合って、相合傘をする。そんな時に、竹の柄に雫(しずく)が伝わって手が濡れるのを、柄漏りといった。洋傘では柄漏りがしても、端歌にならない。柄漏りという日本語も蛇の目傘とともに、どこかに消えてしまった。

 このごろの日本の女は、自分の幸せを求める。だが、幸せは自分から求めるものではない。幸せは結果として、ついてくるものだ。

 日本の文化――日本の国柄が、亡びた。女がみな、商女になった。杜甫が国が敗れて、「商女ハ知ラズ亡国ノ恨ミ」と慨嘆したが、私たち日本人は自分で、美しい国柄を壊してしまった。

 急いではなるまい。今日の男も女も、体がまるで宅急便になったように、ただ急ぎに急ぐ。能率が高い人生を求めるために、人生までがプラスチックの容器に入った、インスタント食品と変わらなくなってしまった。
 
 心はその人がいくつになっても、心を大切にすることによって、生きている。機械のような、無機的な(つめたい)心をもってはなるまい。

 女たちが乞食になったように、高価なレストランで食べたがる。まるで幸福に正札がついているみたいだ。そんな女たちにも、正札がついているにちがいない。

 それよりも、コンビニでパンを買って、2人でベンチで昼餉(ひるげ)を摂る。その時に、小鳥とわけ合うパンくずほど、豪華な御馳走はあるまい。春の豊かな饗宴だ。


  民主化にはつながらない イスラム圏の「アラブの春」
    Date : 2012/01/12 (Thu)
 中東が世界の安定を、激しく揺さぶる震源地になってゆく可能性が高い。

 チュニジアの“ジャスミン革命”によってベン・アリ長期独裁政権が倒れ、エジプトに飛び火した。リビアでも、カダフィ大佐による42年にわたった独裁体制が崩壊した。イエメンでも独裁者だった、サーハレ大統領が追われた。危機がバーレインや、シリアにも拡がっている。

 欧米のマスコミは「アラブの春」とか、「アラブ民主革命」といって、さかんに喝采した。日本の新聞やテレビも、追従した。

 私は「民主革命」と呼んで、囃し立てるのは誤っており、中東はアラブの民衆にとっても、先進諸国にとっても、状況が革命前よりもかえって悪くなるだろうと、予見した。

 アラブ世界では独裁体制が、イスラム原理主義を敵視して弾圧していた。これらの独裁体制は、みな宗教色が薄い世俗的な政権だった。

 イスラム原理主義は、イスラム教が7世紀に生まれた時の厳しい戒律そのままの政治を行おうとするものだが、今日のイランがそうである。アフガニスタンがタリバン政権のものにあった間も、そうだった。

 いま、アラブ世界において世俗主義と、イスラムとの間の戦いの幕があがった。

 “民衆革命”後に、チュニジアと、12月にエジプトで行われた自由な選挙では、イスラム原理主義政党が合法化されたために、最多議席を獲得した。11月のモロッコで行われた選挙も、同じことだった。

 リビアでは、カダフィ政権が国民に、多くの恩恵をおよぼした。石油収入を使って1人当たり国民所得が大きく伸び、教育水準が向上し、女性が解放されて社会進出が促された。カダフィ政権は140以上の部族に分かれて抗争していた国を、1つにまとめていた。

 エジプトは最大のアラブ国家である。アラブ世界でもっとも大きな影響力を持っている。

 オバマ政権はムバラク政権のエジプトが、アメリカが中東におけるもっとも信頼する盟邦だったのにもかかわらず、「民主革命」がエジプトに波及すると、エジプトの「民主化」が望ましいといって見放した。

 エジプトは1952年に陸軍のナセル中佐がクーデターによって王制を倒した後に、昨年まで一貫して軍事政権のもとにあった。軍部はムバラク政権が倒れると、最高評議会をつくって、新憲法の制定のよって民政に移管するまでといって、暫定的に権力を掌握しているが、まだ実権を手放すのを躊躇している。

 これまで、中東からイランまでイスラム圏には、民主主義国が1つとして存在してない。

 もともとイスラム教は、宗教と政治が一致した政治を行うことを定めており、宗教権威に絶対に服従することを求めている。東南アジアの“南洋型”のイスラム諸国を例外にして、イスラム教は民主主義になじまない。

 “アラブの春”は民衆の経済的な不満から起ったもので、民主主義とかかわりがない。“アラブの春”が、〃イスラムの春〃になろうとしている。

 2012年に、イスラエルがイランの核施設を除去するために、攻撃を加える可能性が相当に高い。そうなれば、地域戦争が起ろう。

 イスラエルはイランが核兵器を手にしたら、民族絶滅の危機に直面すると判断している。ユダヤ民族はナチス・ドイツによる“ホロコースト”を、生々しく記憶している。

 サウジアラビアはイランの宿敵であるから、イスラエルの行動を暗黙に支持するとみられる。サウジアラビアはアメリカがムバラク政権を裏切ったために、アメリカに憤っている。
 
 中東ではイスラム教主流のスンニー派と、傍系のシーア派の抗争が激化している。両派は歴史を通じて、犬猿の仲だ。イランはイスラム圏で唯一つのシーアの大国であって、サウジアラビアをはじめとするスンニー諸国によって、恐れられている。


  軍事アレルギーは亡国をもたらす
    Date : 2011/11/30 (Wed)
 自らの国を護るのは自然の理

 東日本大震災に当たって自衛隊の活躍は、自衛隊が日本国民が頼れる最後の砦(とりで)であることを強く印象づけた。

 大規模な天災であれ、外敵による侵略であれ、私たちが最後に頼れるのは、国軍の他にない。

 10月に、君塚英治陸上幕僚長の講演を聞く機会があった。幕僚長は東日本に災害救援のために出動した陸上自衛隊の男女隊員が、国民の負託にこたえていかに献身的に活動したのか、詳細にわたって話され、聴衆を感動させた。

 幕僚長は会場が防衛省に隣接する関連施設だったせいか、迷彩が施された凛々しい戦闘服を着てこられたので、被災地で健闘した隊員の生々しい臨場感が会場に伝わった。

 10月には、アメリカのパネッタ国防長官が就任後はじめて訪日して、一川防衛大臣と会談した。一川防衛相は冒頭、「先の『トモダチ作戦』で、日米同盟のありがたみを感じた」と、挨拶した。もちろん、君塚幕僚長も講話のなかで、アメリカ軍による「トモダチ作戦」に触れた。

 もっとも、防衛省と自衛隊にとって外国の軍隊が「作戦」をたてたり、遂行するのは当然のことであるものの、作戦という言葉は、わが防衛省と自衛隊にとっては禁句である。そこで「作戦」というかわりに、「運用」と言い替えている。

 国譲りの第一義は適正用語の採用

 防衛省の内局として、人事教育局、経理装備局などと並んで、運用企画局がある。「運用」は分かりにくいが、作戦を意味している。防衛省と自衛隊の行政用語は、日本語を母語としている者にとっても、判じ物ばかり並んでいる。

 戦闘服も禁句だ。敗戦後の日本は戦争を凶事として、いみ嫌うようになったためである。そのために、行政用語では「迷彩服」と呼ばれる。

 自衛隊の草創期に「特車」と呼ばれた戦車が「戦車」となったものの、「兵」が禁忌にふれるから、いまだに歩兵は「普通科」であり、砲兵が「特科」と呼ばれている。自衛隊の階級の呼称も、大多数の国民にとって謎めいている。

 自衛隊が昭和29年に自衛隊法によって創設されてから、57年たつ。それなのに、自衛隊が使っている用語は自衛隊の本質を目隠しするものだ。このような誤魔化しが、多く存在する。

 日本の安全と独立を守るためには、国軍を欠くことができない。自衛隊が国軍であることは、誰の目にもあきらかである。

 ところが、日本国民は軍を輕んじることによって、現実から目を背けている。日本が置かれた国際環境に目を瞑って、断崖にそった険しい道を目隠しをして歩いている。

 今日の日本は、李朝朝鮮によく似るようになっている。日本が朝鮮並みの国家となっている。

 李氏朝鮮は、高麗朝の将軍の1人だった李成桂(イソンゲ)が、高麗朝をクーデターによって倒して、李朝を創設した。その時に、李成桂は国王をはじめ王族を1人も残すことなく、鏖(みなごろし)にした。

 自守自立こそ国の姿

 そのために、李朝はクーデターを恐れて、正規軍を廃した。李朝は軍人に対するアレルギーによって支配されていたために、自国の軍隊を恐れて、宗主国であった明に国防をいっさい委ねた。

 李氏朝鮮は日韓併合まで、27代と517年にわたって続いた。

 秀吉が「仮道入明」(明へ侵攻するのに当たって、朝鮮を通過する)を求めて、西暦1592年4月に、小西行長、宗義智が率いる倭軍(ウエグン)(と、朝鮮側が呼んだ)が、釜山浦(プサンポ)に上陸した。慌てて集められた朝鮮軍は、日本軍に蹴散らされた。僅か20日後に、首都の漢城(今日のソウル)を占領された。漢城は宗主国である「漢人(中国)の都」という意味である。

 秀吉の朝鮮進攻のもたらしたもの

 秀吉の朝鮮進攻は、韓国では「倭乱(ウエラン)」として知られる。日本では「文禄(ぶんろく)の役」(朝鮮側呼稱は「壬辰倭乱(イムジンウエラン)」)と呼ばれる。

 李朝14代の宣祖(ソンジョ)王は日本軍に追われて、鴨緑江に近い義州(ウイジュ)まで逃げのびた。宣祖王はこのあいだ他に手立てがなく、宗主国である明に救援を請願した。

 明は大軍を派遣して、翌年3月に平壌を奪還し、漢城を回復した。日本軍は朝鮮の南端の慶尚道の沿岸に築城して、立て籠った。

 日本軍は翌年に慶尚道と隣接する全羅道に、また侵入した。日本でいう「慶長の役」(朝鮮では「丁酉再乱(ジョンユゼラン)」)である。日本軍は明軍を相手にして苦戦を強いられたが、その翌年に本国で秀吉が死んだために、撤収した。

 2回の秀吉軍の侵入によって、朝鮮全土が焦土と化した。

 16代目の仁祖(インジョ)王の時に、奴児哈赤(ヌルハチ)が満州族を統一して、後金を国号とした。後金は明軍を破って、遼東に進出した。奴児哈赤の子の皇太極(ホンダイジ)が1636年に国号を大清に改めて、中国内地へ向けて侵攻した。

 李朝は宗主国の明を崇めて依存するあまり、「向明排金」、あるいは「親明排金」に固執した。そのために、清軍が仁祖5(1627)年に鴨緑江を渡って、朝鮮に乱入した。

 「倭乱」の時と同様に、朝鮮軍は有名無実だった。李朝朝廷は救援を要請する急使を、明に何回も送った。仁祖王は江華島へ避難しようとはかったが、清軍によって阻まれ、南漢山城に逃げ込んだところを、包囲された。

 ところが、当てにしていた明軍は来なかった。明は清軍の攻撃を蒙って、北京を防衛するのに大童(おおわらわ)で、李氏朝鮮の窮状を顧みる余裕がなかった。明も崩壊の寸前にあった。李朝は明に頼るあまり、外国にも外国の事情がありうることを、理解できなかった。

 今日、ソウル市松坡洞(ソンパドン)に「大清皇帝功徳碑」が建っている。

 碑には南漢山城を出た仁祖王が、清軍の軍営に設けられた「受降壇」まで出向いて、清の大宗の前に跪いて、頭を9回地面にこすりつけて拝礼することによって、清に臣従することを誓ったのに対して、「寛温仁聖皇帝」(神聖で思い遣り深い皇帝)が受け容れたことが、記されている。

 仁祖王はこの時、それまで侮蔑していた胡販(蛮夷の満服)を纏って、皇帝に命乞いをした。明に代えて、清を宗主国として新らたに戴くことを誓った。

 この時から、日本が日清戦争に勝って李氏朝鮮を大韓帝国として、清から独立させるまで、李朝は清に毎年多数の宦官と、全国から美女を選りすぐって、そのために設けた妓生学校で訓練を施した妓生を貢いだ。

 歴史の歩みを凝視したい

 李氏朝鮮はその後も軍事アレルギーを国是として、明に代えて清に国防を委ね続けた。歴代の国王を囲む朝臣たちは国を想うことなく、一身の栄達だけを願って、徒党を組んで政争に耿った。

 第26代の高宗王のもとで高宗31(1894)年に、東学党の乱(甲後(こうご)農民戦争とも呼ばれる)が起った。窮乏した農民が決起して、全羅道を制圧した。李朝は自主独立の気概を欠いてきたから、いつものように清に派兵を請願した。

 日本も清軍が朝鮮半島を占領することを怖れて、対抗して派兵した。その結果、日清両軍が衝突して、日清戦争が戦われた。

 日本国憲法は、日本「政府の行為によって再び戦争の惨禍を」招かないために、日本の独立を「諸国民の公正と信義に」委ねて、陸海空軍を保持しないことを、うたっている。

 自民党政権は陸上自衛隊の定数を18万人から16万人に、民主党政権はさらに15万4千人に、海上自衛隊の護衛艦が60隻から50隻に削減されていたのを48隻に、航空自衛隊の戦闘機が350機から300機に減らされていたのを、250機にした。

 日本は“韓流ドラマ”を演じている。

 日本の政治家には、朝鮮服がよく似合う。


  キナ臭さが増してきたアジアの軍事情勢
    Date : 2011/11/21 (Mon)
 ランド研究所といえば、アメリカの著名なシンクタンクである。

 今月、ランド研究所がアメリカ陸軍の委託を受けて、来たるべき中国の脅威について取り組んできた研究報告書をまとめて、発表した。
 
 この報告書は冒頭で、もし中国のGDPと軍事支出が今後20年以内に、アメリカを上回ることがあれば、中国がかつてのソ連、あるいはナチス・ドイツよりも深刻な脅威となりうると述べている。そのうえで、「しかし、中国はその周辺地域を覇権のもとに置こうとする他に、世界を制覇しようと望んでいない」と、指摘している。

 中国の軍事能力はいまのところアメリカに対して大きく遅れているが、今後、強化され続け、短期的には台湾に対して局地的な軍事優勢を達成するかたわら、広域にわたって行使できる能力を獲得しようとしている。そうなれば、アメリカにとって中国が支配圏に取り込もうとしている地域を防衛することが、時間とともに困難になってゆくという。

 しかし、中国はアメリカと軍事衝突することがあれば、経済が大混乱に陥ることを知っている。アメリカ経済も打撃を受けるから、冷戦時代に米ソが核戦争を戦った場合に、双方が耐えられない損害を蒙ることになるために、「相互確実破壊理論」が働いて、抑止力となったのと同じ関係にあると、説いている。

 中国が台湾を回収しようとして、台湾に対して海上封鎖、ミサイル攻撃、あるいは上陸作戦を試みた場合に、アメリカが中国を思い止まらせるために、限定された大陸の目標を攻撃することになって、衝突がエスカレートすることがありうる。

 朝鮮半島でも、米中が軍事衝突するかもしれない。金正日総書記の死によって正恩青年が政権を継承する時に、北朝鮮が混乱して崩壊する可能性がある。その場合に、中国の人民解放軍が北朝鮮を制圧しようと試みよう。韓国が半島の統一をはかって、国軍が軍事境界線を越えれば、偶発的な軍事衝突がエスカレートする危険がある。アメリカは朝鮮半島の統一か、現状の分裂状態を維持し続けるか、どちらかを選ばねばならない。

 中国は東南アジア諸国が囲む南シナ海を、内海としようとしており、発火点の1つである。南シナ海を重要なシーレインが通っており、タイ、フィリピンがアメリカの同盟国であって、アメリカは共同防衛条約によって両国を防衛する義務を負っている。

 日本については、アメリカは中国が日本に攻撃を加える、どのような場合においても、日本を守ると述べている。そうしなければ、アメリカのアジアにおける信頼性が失われると警告している。

 しかし、今後、アメリカの軍事優位が時間とともに弱まってゆくことから、日本がアメリカの軍事能力を補完するために、抑止力として中国大陸の目標を攻撃できる能力を持つことが望まれると、提唱している。

 米中間では偶発か、限定的な戦闘が双方にとって望ましくないのにもかかわらず、拡大する可能性があると、懸念している。

 中印戦争が再発する場合には、アメリカはインド側に立って軍事介入しないが、インドに先端兵器を含む武器を供給するのに、とどめる。

 日本周辺のアジアがヨーロッパと違って、いっそう、きな臭くなっている。


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