加瀬英明のコラム
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  三度、核攻撃を招いてよいのだろうか
    Date : 2016/09/23 (Fri)
 9月に北朝鮮が5回目の核実験を行なった。

 テレビや新聞の報道によれば、6回目の核実験の準備も進めているという。

 今年も8月に、安倍総理が広島と長崎を訪れて、霊前で「非核三原則」を守ることを誓った。

 例年のように、祈りをこめた千羽鶴が、奉納された。

 このように一心に平和を願うことによって、核攻撃の惨禍を三度(みたび)招くことを、防ぐことができれば、これ以上、幸せなことはないと思う。

 原爆によって、広島、長崎は都市ぐるみ、一瞬のうちに業火に包まれた。

 私は原爆投下直後に、広島に救援のために入った、部隊の将校や兵士から話をきいたことがある。焼け爛れた犠牲者たちが口々に、「兵隊さん! この仇をとって下さい!」と訴えたといった。

 先の戦争では、政府も、軍部も、敗れた日まで現実を直視することなく、「無敵日本」とか、「神州不滅」と唱えて、国をあげて精神力を重んじた。

 いったい、その結果は、どうだったのだろうか。平和を祈る精神力が何よりも勝るという、今日の国民的な合意と、まったく変わるところがなかったのではないか。

 トランプ共和党大統領候補が集会で、「アメリカは日本を守ることを義務づけられているのに、日本はアメリカを守る義務を負っていない。日本が外から攻撃を蒙った時に、日本国民はソニーのテレビで、われわれの青年たちが血を流すところを、見物することになる」と演説したところ、バイデン副大統領が「アメリカは占領下で、日本に軍隊を持つことを禁じる憲法を持たせた」と、反論した。

 それに対して、ワシントンの日本大使館が「アメリカは現行憲法の原案を日本に提示したが、帝国議会の十分な審議を経たうえで施行された」というコメントを、発表した。

 7月の参議院議員選挙は、明らかに違憲だった。憲法第7条4項は、国会議員は総選挙によって選ばれると明記している。参院選挙は総選挙ではなく、半数しか選出しない。

 現行憲法には、このような杜撰な誤りが多い。帝国議会で十分な審議が行われなかったからだ。

 現実を直視したら、帝国議会によって十分な審議が行われたという嘘は、つけまい。

 私はもう40年も、アメリカの“核の傘”は信頼できないと、書いてきた。

 歴史を振り返ると、同盟関係と、保護国と被爆国の関係は、平時においては抑止力となるが、有事には力が強いほうの同盟国か、保護国のその時の都合によって、保障が違えられるものだ。

 アメリカが自国の都市を犠牲にしてまで、日本のために核兵器を使ってくれるだろうか。

 核廃絶を真心をこめて主張し、「ノー・モア・ヒロシマ」「非核三原則」を唱え続ければ、日本が3回目の核攻撃を蒙ることがないと信じていれば、安心できるのだろうか。

 私には、習近平氏、金正恩氏が、トルーマン大統領よりも、善良な人だと信じることができない。

 広島の平和記念碑に「過ちは二度と繰り返しません」と、刻まれている。

 第1次安倍内閣時に、久間章生(あきお)防衛大臣が「原爆投下は仕方がなかった」と語ったために、辞任したことがあった。

 万一、日本に三度(みたび)核攻撃が加えられることがあった場合に、また平和記念碑に同じ碑文を刻み、閣僚が「核攻撃は仕方がなかった」と、口走ることになるのだろうか。それほど、平和運動は尊いものだろうかと、思う。


  なぜ、いま私たちは標準語を話しているのか
    Date : 2016/08/31 (Wed)
 私は東京で生まれて、戦後、鎌倉で育ったから、東京育ちのようなものだ。

 30代に入ってから、全国から講演のために招かれるようになったが、地方で方言に接するたびに、標準語しか知らないことに、肩身が狭い思いを味わってきた。

 標準語は明治に入ってから造られたものだから、私は東京育ちの父についで、標準語しか知らない2代目となる。30代か、40代の時に、明治時代に出版された本のなかに、「方言は心のゆくままに打ち出るもの」であると、書かれているのを読んだ。

 地方の人々が、方言で話しているのを聞くと、羨ましかった。そんな時には、標準語には心が籠っていないと思って、劣等感に苛(さいな)まされた。森鴎外が「国もの同志で国詞(くにことば)を使ふのは固(もと)より当然である」(『ヰタ・セクスリアス』)と、書いている。

 7月末に、富山県の氷見(ひみ)に招かれた。翌日が、東京都知事選の投票日だった。富山湾を一望に収める、風光明媚な郷だ。夕食会の席上で、私はお国言葉についてたずねた。

 すると、「ここでは、『奢(おご)ってあげるから、ついていらっしゃい』という時に、『だいてやるから、ついてこい』といいます。東京で女性にそういったら、きっと、セクハラで訴えられますね。もし、鳥越俊太郎氏が当地の出身だったとしたら、問題がなかったでしようが」といって、笑った。

 翌日、私は鹿児島の霧島を訪れて、1泊した。私の母方の祖々父の出身地になるが、「前へ進め!」を「まいかんか!」、「停まれ!」は「いやんせ!」という。

 写真を撮られると、魂が抜かれる

 都知事選は、小池百合子氏が291万票、増田寛也氏が179万票を獲ったのに対して、鳥越氏が134万票という惨敗だった。

 鳥越氏は知事選に出馬するのに当たって、記者会見の場で「参院選によって、憲法改正が射程に入ったことがわかった。改憲の流れを阻止しよう」と、護憲と反原発を訴えた。

 都政についての抱負を聞きたかったところだったので、私は耳を疑った。

 幼かったころだったが、老人たちから「写真を撮られると、魂を抜かれてしまう」と、しばしば聞かされたものだった。私は長いあいだ信じなかったが、ほとんどのテレビのキャスターが、カメラによって脳髄を吸い取られてしまうから、今では老人たちが正しかったと、思っている。

 鳥越氏が惨敗したのは、民進党が有権者からいっそう見離されたことを、示していよう。民進党には友人が多いので、日本社会党と同じ道を辿るのではないか、心配だ。

 私はテレビを好まないから、ごくたまにしか見ないが、鳥越氏がテレビの人気キャスターだったことは知っていた。鳥越氏がしばらく前にテレビで、「中国や、北朝鮮が日本を攻撃することはありえない」と、真顔でいうのを聞いて、あらためてカメラの恐ろしさに戦いたものだった。

 護憲派は現実を無視して、信仰を重んじるから、狂信的な信者である。だが、本来、宗教は現世で人を守ってくれるものである。このような者が、政治にかかわるべきでない。

 護憲派は日本国憲法を、後世大事にしているように見せかけているが、現行憲法を大切にしていない。

 参議院議員選挙は違憲ではないのか

 7月の参議院議員選挙は、憲法違反だった。憲法第7条の4項を読むと、国会議員は総選挙によって選ばれると、明記している。総選挙は議員全員を選挙する。ところが、参議院議員選挙では議員の半数しか、改選しない。

 アメリカが強要した原案が一院制になっていたのを、日本側が泣きついて、二院制になったものの、大急ぎで翻訳したために、第7条をうっかり、そのままにしてしまったためである。アメリカは一院制でも二院制でも、どうでもよかった。

 憲法を大切にするのならば、なぜ、これまで第7条を改めなかったのか。現憲法にはこの他にも、杜撰な誤りが多くある。

 占領軍が日本国憲法を強要したのは、まさか、日本のためを慮(おもんばか)ったからではなかった。 

 日本から国防権を奪うことによって、永久に無力化して、アメリカの隷属国とすることをはかったのだった。歴史を振り返れば、ある国の独立を奪うとする場合には、国防権を剥奪するものだ。今も昔も、弱肉強食の掟が世界を支配していることに、変わりがない。

 幕末にペリー艦隊が来寇してから、日本は米欧列強の圧倒的な武力を前にして、夷狄を打ち払う小攘夷か、開港する大攘夷を選択することを、強いられた。

 文明開化は日本に何をもたらしたか

 日本は西洋列強に対抗するために、心ならずも文明開化を進めた。

 そのかたわら、一連の屈辱的な不平等条約を強いられていたから、不平等条約を改正することが、国をあげて悲願となった。

 当時の世界では、西洋の文化文明だけが真っ当なものとされていたから、不平等条約改正のためには、西洋を模倣しなければならなかった。

 今日でも、国賓を迎えて催される宮中晩餐会において、フランス料理が供されるが、その名残である。

 今日、韓国では国賓を迎えて、青瓦台で韓国料理が、中国では人民大会堂で中華料理、タイではタイ料理、インドではインド料理、ホワイトハウスではアメリカ料理が振る舞われる。新宮殿の豊明殿でフランス料理が供されるのは、不平等条約の爪痕だ。

 鹿鳴館をつくって、顕官たちが妻妾を連れて、仮装舞踏会のステップを踏んだのも、葬式に当たって白衣を着ていたのを、政府が野蛮国だとみられてはならないように全国に通達を発して、黒を着るように命じたのも、不平等条約改正のためだった。

 文科省が明治初年に全国の女子学生に、立ち小便することを禁じる通達を、発している。女性の立ち小便は、朝鮮半島や、中国にない習慣だが、インドネシアなどにある。私は戦時中に長野県に疎開したが、農婦が畦道で立ち小便するのを、よく見かけたものだった。

 独立を全うするために、一日も早く近代的な軍隊を、創建しなければならなかった。
 
 そこで、国語と呼ぶようになった標準語を造った。武士は嗜みとして、能楽の謡曲に親しんでいたから、江戸に上っても意志を通じあえたが、庶民は全国にわたって、国言葉しか知らなかった。

 薩摩人の将校が先頭に立って、「まいかんか!」、「いやんせ!」と、号令を叫んでみても、全国から徴集された庶民兵には、それぞれの国言葉で「わがんね」といって、何のことやら理解できなかった。

 なぜ、日本人は摺り足で歩かなくなったのか

 そのために、政府によって国民の共通語として、標準語が造られた。

 それまで、日本人は両足をやや広げて、前屈みになって立った。陸軍が雇ってきたフランスの軍事顧問団が踵(かかと)をつけて、直立不動の姿勢をとることを、教えた。また、全国民が草履をはいて摺り足で歩いていたが、小学校教育の場から、西洋人に倣って足をあげて馬のように歩くことが教えられた。

 学校唱歌が日本を守る

 日本人は洋楽のリズムと無縁だったから、分列行進が下手糞だった。フランスの軍事顧問団が、小学校で洋楽を教えるように、勧めた。それを受けて、軍事教育の一環として、学校唱歌が生まれた。

 私は街で人々が歩いているところや、人々が学校や、会社の式典で姿勢を正すのを見たり、小学生が唱歌を合唱するのを聞くたびに、明治に入ってから、先人たちが日本の独立を守り、不平等条約を撤廃するために、血が滲むような努力をしたことを、思うのだ。

 護憲派の人々は、外国に諂(へつら)っている。自尊心も、自立心のかけらもない。外国人におもねる人々ばかりいたら、この国は滅びることになろう。


  孤独の人
    Date : 2016/08/26 (Fri)
 天皇陛下が8月8日にテレビを通じて、お言葉を読まれたのを謹聴した。ご高齢によって、お疲れになられたと、訴えられた。

 私は、なぜ、日本の男女がリオの五輪大会で健闘している時を選んで放映したのか、宮内庁の役人に対して憤りをおぼえた。

 これは、天皇によるクーデターだった。明治天皇によって定められ、現憲法下で継承されている皇室典範は、天皇の譲位を認めていない。お言葉のなかで、皇室典範が定めている摂政制度を斥けられたが、天皇が法を改めるよう要求されることは、あってはならない。

 「天皇に私なし」と、いわれる。陛下はやはり、戦後のお育ちであられるのだと、思った。陛下は天皇のお役目を誤解されていられるのではないか。お言葉のなかで、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や、島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として大切なものと、感じて来ました」と仰言せられたが、地方をお巡りになられるのは、天皇の絶対的なおつとめではない。

 天皇はご存在自体が、尊いのだ。ご高齢になられたら、公務は摂政にお任せになればよいし、宮中祭祀についても必要に応じて慣例を改めて、皇太子が代行されればよい。

 私が由々しいと思うのは、天皇のご存在が日本国統合の要であるのにもかかわらず、今日の天皇には制度として、ご相談相手が欠けていることだ。旧憲法のもとでは宮内官として内大臣が側近に侍して、天皇がお気軽に意見を求めることができた。また総理大臣以下閣僚や、軍幹部が参内して頻繁に拝謁した。

 ところが、歴代の宮内庁長官は厚労省、警察、自治(現総務)省などの出身で、侍従長は外務官僚出で、ほとんど全員が例外はあっても、皇室の伝統について無知である。

 そのために、天皇が陸の孤島となったような皇居に、置き去りにされている。陛下が皇太子殿下であられた時に、学習院のご学友だった故藤島泰輔氏が『孤独の人』というベストセラーを著わしたが、今日ではいっそうそうなっているのではないか。


  “外弁慶”の中国は10回化ける?
    Date : 2016/08/23 (Tue)
 中国の現行漢字の簡略字は、簡体字と呼ばれている。

 「華」は「华」と書く。きっと、10回化けるという意味なのだろう。

 中華人民共和国が1回目に化けたのは、ケ小平が実権を握ると、「白猫でも黒猫でも、鼠を捕りさえすればよい」といって、毛沢東の共産主義を、すりきれた沓(くつ)である弊履(へいり)のように捨てて、資本主義に切り替えて、経済成長を党是か、国是とした時だ。

 江沢民時代に入ると、野放図な経済成長が中国社会を歪めたために、愛国主義を加えることによって、2回目に化けた。

 胡錦濤時代になると、中国は世界のなかで貧富の格差が、どこよりも大きく開くようになったために、毛沢東時代に反革命思想として敵視していた孔子崇拝を復活して、金持も極貧者も睦みあおうという、「和諧社会」をスローガンとして選んだ。3回目に化けた。

 習近平時代に入ると、また化けた。無茶苦茶な成長によって経済が破綻したために、中国人が古代から夢見てきた、「偉大な五千年の中華文明の復興」を掲げて、中華大帝国を復活しようと煽るようになった。

 いまや、習主席の中国は南シナ海全部が中国のものであると、主張するようになっている。南シナ海は、地中海より大きい。オバマ政権が中国と対決するのに怯(ひる)んで、眼を背けていた間に、満潮時に海面下に潜る、7つの岩礁を埋め立てて、3000年以来の「神聖な領土だ」と叫んでいる。

 習主席は、7月にハーグの国際仲裁裁判所が7つの人工島について、中国の主張を認められないという判決を下すと、「紙クズでしかない」といって、斥けた。

 中国のマスコミは、アメリカが仲裁裁判所を操ったといっせいに非難して、ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)などアメリカ企業をボイコットするように、呼び掛けた。ところが、KFCの前に反米の幟(のぼり)を持った群衆が集まると、警察隊が解散させた。反体制の暴動に発展することを、恐れたのだ。

 中华人民共和国は、誰よりも人民を恐れている。だが、人民の支持を確保するためには、外に対して強面(こわおもて)をしなければならない。中華帝国の復興の夢を煽るためには、東南アジア諸国、日本、アメリカに対して、一歩も譲れない。

 といって、習体制は国際社会から孤立することを恐れている。強面が行きすぎたことも、悔いている。しばし日本、アメリカに対して微笑(ほほえ)みたいものの、どうしたらよいのか、苦慮しているところだ。

 中国が2、3年以内に、南・東シナ海において軍事冒険を試みる可能性が、きわめて高いと思う。中国人は商人(あきんど)の国だから、かならず勝てる戦争しかしない。アメリカと正面から衝突するようなことはしない。

 アメリカで誰が次期大統領となっても、内に籠ることになろう。中国は世界が流動化しているところに、付け込もうとしよう。

 中国は今年6月になってから、海軍艦艇に尖閣諸島の接続水域をしばしば航行させて、既成事実をつくることをはかっている。

 中国が軍事冒険を試みれば、ホーバクラフトなどを用いて、尖閣を占領しよう。その場合に、アメリカは日本を援けて介入しまい。

 中国を囲む海で、尖閣がもっとも脆い環だ。

 中国の兵法では、古代から「軟土深掘(ニアンソウシエントウオ)」(柔かい土は、深く掘れ)という。


  トランプ v.s. ヒラリー アメリカ大統領選の行方
    Date : 2016/08/09 (Tue)
 7月にフィラデルフィアで民主党大会と、クリーブランドで共和党大会が催されて、このままゆけばそれぞれヒラリー・クリントン夫人と、不動産王のドナルド・トランプが大統領候補として、指名された。

 2人のうち、トランプが、旋風の眼だ。もし、今の時点で2人どちらが11月の大統領選挙に勝つか、10万円を賭けろといわれたら、私は自信がないが、ヒラリーに賭けよう。
ヒラリーが大統領として当選する可能性が60%、トランプが40%かなと、思う。

 もし、ヒラリーが金銭スキャンダルか、国務長官時代に私用のeメールを使って、国家機密を漏洩したことが暴かれるか、6月にフロリダ州オーランドでイスラム過激派の青年が、50人あまりの男女を殺した乱射事件のようなことが、また起った場合は、トランプのホワイトハウスへの野望に、強い追い風が吹くことになる。

 多くの読者が、もしトランプが大統領となったら、アメリカの外交政策が大きく変わってたいへんだと、思われていることだろう。

 そんなことはない。ヨーロッパのNATO(北大西洋条約機構)諸国や、アジアの同盟諸国に、もっと防衛費を分担させようとか、クリミア、ウクライナはヨーロッパの問題であって、アメリカは係わるべきでない、中東はどうしようもないから、もう手を引こうといっているのは、オバマ大統領も、トランプも同じことだ。

 2人の違いは、オバマ大統領がおとなしい口調でそういっているのに対して、トランプが乱暴きわまりない言葉で、いっているだけのことだ。ただ、話し方の違いだ。

 ヒラリーは八方美人をきめこんで、具体的な政策に触れることを避けてきたが、オバマの外交路線を継ぐことになる。
 もっとも、私の予想が誤まって、このままいっても、トランプがヒラリーを破るかもしれない。アメリカの地方の小都市へ行っても、スーパーでベールを被ったイスラム系女性たちの姿を見かけることが珍しくなくなっており、住民が強い違和感をいだくようになっている。

 トランプはアメリカ社会で所得格差が拡がるかたわら、オートメーションが進むなかで、職を失った者や、低学歴・低所得層の白人による支持をえてきた。イスラム系移民や、メキシコからの不法移民の排斥を叫んできたが、高学歴の合法移民も、高学歴の白人層から白眼視されている。

 インドや、中国から高学歴の合法移民がH1B就労ビザで入国して、ハイテク企業で白人よりも低い賃金で働くために、多くの高学歴の白人から職を奪っている。ハイテク企業によっては、技術系社員のほとんどが外国人となっている。

 ヒラリーは金(かね)に穢い、嘘つきだというイメージが強い。“アメリカ版の舛添前知事”に似ている。

 オバマ大統領とトランプの差は、トランプが日本と韓国に核兵器を持たしたほうが、よいといっている点だ。

 中国か、北朝鮮が、日本か、韓国に核攻撃を加えた時に、アメリカが日本か、韓国に代って、ワシントンや、ニューヨークや、ロスアンジェルスを犠牲にしてまで、中国か、北朝鮮に核報復攻撃を加えるのは、御免蒙りたいというのだ。もっとも、これはアメリカの本音だろう。

 私はヒラリーのほうが、トランプよりも対外的に冒険する大統領になる可能性が、高いと思う。アメリカで最初の女性大統領となるが、これまでの他国の女性リーダーをみても、女だからといってバカにされないように、“男らしく”振る舞う例が多い。

アメリカが“一国平和主義”の殻に、とじこもろうとしている。はたして日本の“平和憲法”信者たちは、このようなアメリカの流れをみて、快哉を叫んでいるだろうか。


  日本が戦後歩んだ71年の道は、正しかったのだろうか
    Date : 2016/08/05 (Fri)
 今年は、岸信介首相の生誕120周年に当たる。

 いま、アメリカが世界秩序を守るのに疲れて、内に籠ろうとしている。日本は好むと好まざるをえず、自立することを強いられよう。

 日本は戦後歩んできた道が、はたして正しかったか、熟考することを迫られている。

 私は岸首相が戦後の日本の首相のなかで、もっとも傑出した首相だったと、考えてきた。

 岸首相が求めた日米安保条約の改定

 岸首相は1960年に、日米安全保障条約の改定を、身命を賭して行った。

 吉田茂首相が1951年にサンフランシスコにおいて講和条約に調印した時に、日米安保条約が結ばれた。この条約は不平等条約で、米軍が日本に無期限に駐留することを認めたが、アメリカが日本を防衛する義務を負っていなかった。 

 占領軍が駐留を続けるようなことだったが、当時、日本には警察予備隊しかなかったから、仕方がなかったといえよう。

 岸首相は日本を再び独立国家としようとして、信念を燃やしていた。アメリカと交渉して安保条約を改正して、アメリカに日本を守る義務を負わせるとともに、両国の合意によって延長できる期限を設けた。

 岸首相が求めた新条約

 新条約は「相互協力及び安全保障条約」と呼ばれ、経済をはじめとする諸分野において、協力することがうたわれ、日米関係に新しい時代をもたらすものだった。そのために、アイゼンハワー大統領が、戦後、最初のアメリカ大統領として訪日することになった。

 岸首相は安保条約の改正を成し遂げたが、左翼勢力によって煽動された反対運動によって、志なかばにして辞職せざるをえなかった。

 アイゼンハワー大統領の訪日を準備するために来日した、ハガティ秘書を乗せた乗用車が、羽田空港を出ようとする時に暴徒によって囲まれて、立往生する事態が起った。岸首相は大統領が来日しても、安全を守ることができないという判断から、訪日を断らざるをえなくなり、その責任をとって辞職した。

 もし、あのような大規模な反対運動が起らなかったとしたら、日本の歯車が狂うことはなかった。

 日本の進むべき道とは

 日本を取り巻く国際環境は、今日までつねに厳しいものであってきたが、日本はアメリカに国家の安全を委ねて、安眠を貪ってきた。

 いまこそ、私たちは岸氏が日本の進路をどのように描いてきたのか、学ばなければならないと思う。

 私は5月に、日本の保守派を代表する月刊誌『正論』の新聞広告「総力特集 迷走するアメリカ 日本を守るのは誰か」を見て、暗然とした。テレビや新聞は、ドナルド・トランプが共和党大統領候補として指名されることが、ほぼ確定したと報じていた。

 アメリカのヨーロッパ化が始まっている。かつてヨーロッパは世界の覇権を握っていたが、重荷を担うのに疲れ果てて、内に籠るようになった。

 いま、日米関係が大きく揺らごうとしている。

 アメリカが迷走をはじめた、という。しかし、日本がこれまで「平和憲法」という呪文を唱えながら、迷走してきたのではないか。

 真の独立国家こそが自らの国を護る

 日本は独立を回復してから、経済を優先して国防を軽視することを国是としてきたが、「吉田ドクトリン」と呼ばれてきた。いま、この“吉田ドクトリン”が破産した。

 私は吉田首相が講和条約に調印して帰ってから、政治生命を賭けて憲法改正に取り組むべきだったと、説いてきた。

 吉田首相は国家観を欠いていた。独立国にとって軍の存在が不可欠であるのに、旧軍を嫌ったために、警察予備隊を保安隊、自衛隊として改編したものの、今日でも自衛隊は警察隊か、軍隊の擬(まが)い物(もの)でしかない。

 吉田首相と岸首相を比較することによって、いったい戦後の日本が、どこで誤まってしまったのか、理解することができる。

 アメリカのダレス特使が、占領末期に対日講和条約の締結交渉のために来日して、吉田首相に「日本が再軍備しないでいるのは、国際情勢から許されない」と、強く迫った。

 独立国は第一に自国を護る精神がいる

 吉田首相はそれに対して、「日本は経済復興の途上にあり、国民に耐乏生活を強いている。軍備に巨額の金を使えば、復興が大きく遅れてしまう。それに理由なき戦争にかり出された国民にとって、敗戦の傷痕がまだ残っており、再軍備に必要な心理的条件が失われたままでいる」といって、頑なに反対した。

 だが、軍を創建するのは予算の問題ではあるまい。軍は精神によって存在する。独立国は精神によってつくられている。

 アメリカは日本を完全に非武装化した憲法を強要したことを、悔いていたから、独立回復とともに、憲法を改正ができたはずだった。

 吉田首相が日本が暴走したために、先の戦争を招いたと信じていたのに対して、岸首相は日米戦争がアメリカによって、一方的に強いられた自衛戦争だったと、考えていた。

 岸氏は敗戦直後に占領軍によって、A級戦犯容疑者として逮捕されたが、入獄直前に「名に代へてこの聖戦(みいくさ)の正しさを 萬代(よろずよ)までも伝へ残さむ」と詠んで、高校の恩師へ贈っている。

 不平等条約でよいではないか 

 吉田首相は在職中に、憲法改正に熱意を示すことがなかった。引退後、口では憲法を改正すべきことを唱えたが、大磯で贅に耽るかたわら、積極的に推進することがなかった。

 吉田元首相は岸首相が1957年に日米安保条約改定のために、アメリカに滞在していた間に、毎日新聞に「訪米の岸首相に望む」と題して、寄稿している。

 「安保条約、行政協定の改正などについて意見が出ているようだ。しかし、私はこれに手を触れる必要は全然ないと信ずる。今までのとおりで一向差支えない。条約を結んだ以上は互いに信義をもって守ってこそ国際条約といえる。(中略)不対等の条約もあって、それを結ぶことによって、国の利益になるなら私は喜んでその条約を結ぶ。下宿屋の2階で法律論をたたかわしているようなことで政治はやれない」(6月14日朝刊)

 独立国なら憲法を改正すべきだ

 岸氏は巣鴨から釈放されると、「憲法を改正して独立国にふさわしい体制をつくる」という旗印を掲げて、日本再建連盟を結成した。1953年に、吉田首相の自由党から衆議院議員選挙に当選すると、憲法調査会の初代会長に就任している。政界から退いた後も、自主憲法制定国民会議会長として、全国をまわって憲法改正をすべきことを訴えた。

 岸首相は安保条約を改定して、アイゼンハワー大統領の訪日を成功させたうえで、憲法改正への道筋をつけることを、目論んでいた。

 岸内閣が退陣した後は、池田勇人首相をはじめとする、いわゆる“吉田学校”によって政治が支配され、“吉田ドクトリン”のもとで、日本の迷走がずっと続いた。

 いまなお、占領下でアメリカが強要した日本国憲法と、“吉田ドクトリン”による日本の呪縛が続いている。

 岸首相といえば、日本では「昭和の妖怪」と綽名(あだな)されているが、吉田茂こそ「昭和の妖怪」の名に、ふさわしいのではないか。

 安倍内閣が安保関連法成立の意義

 1960年の安保騒動は、岸首相が辞職すると、安保条約が発効したというのに、国会を囲んで荒れ狂ったデモが、何もなかったように沈静した。まるで悪夢をみたようだった。
マスコミが1970年の数年前から「70年危機」として喧伝(けんでん)したにもかかわらず、一部の学生が新宿駅構内で騒いだだけで、終わった。

 反対運動は、国民のごく一部にしかあたらない勢力によって、つくりだされたのだった。

 安倍内閣が安保関連法を成立させた。この時も、新聞や大手テレビがさかんに煽って、連日、国会を囲んでデモや集会が行われたが、“お祭騒ぎ”に終わった。

 いま、私たちは岸首相の再評価を行うことが、求められている。


  日本国から誇りを奪っている現行憲法
    Date : 2016/08/05 (Fri)
 現行の日本国憲法は、諸悪の因(もと)となっている。

 私は世界の60ヶ国以上の、憲法の前文を読んだ。

 どの国の憲法も、前文のなかでその国が誇りとする歴史や、伝統の精神文化を称(たた)えている。

 私は、毎朝、鏡のなかで自分の顔を見るたびに、父母の体を受け継いでいると思う。

 私が1人で存在しているのではない。そして父母だけではなく、祖父母、さらに遡って私を現世に送ってくれた御先祖に感謝する。

 この連載のなかで、私は現行憲法が日本が先の戦争に敗れた翌年の2月に、占領軍総司令部で俄(にわ)かに集められた、24人のシロウトばかりの部員によって、僅か7日間で書かれたことに、すでに触れた。

 現行憲法の前文は、このシロウト集団がアメリカ独立宣言や、アメリカ、イギリス、中華民国の首脳が昭和18(1943)年に、エジプトのカイロに集まって、日本に対して無条件降伏を要求したカイロ宣言などの文言から取って、切り貼りしたものである。

 占領軍が日本に強要した現行憲法は、日本が未来(みらい)永劫(えいごう)にわたって、軍備を持つことを禁じるとともに、日本国から誇りを奪うことを、はかったものだった。歴史を振り返ると、ある国が力づくで外国を属国としようとする時に、かならず国防権を奪うことを行う。

 日本の憲法の前文は、先人たちから受け継いだ国を誇ることによって、先人に感謝を捧げるものでなければならない。現行憲法の前文は罰当たりのもので、読誦(どくしょう)するにとうてい価(あたい)するものではない。

 憲法は、国家の最高法規である。先祖が代々にわたって、この国を築くために営々として努力してきたことを、疎(おろそ)かにしてしまってよいものなのか。私たちが未来を切(き)り拓(ひら)こうとするなら、何よりも先人の加護を願わねばなるまい。

 総司令部で日本に無理強いする憲法案ができあがると、マッカーサー元帥の側近のホイットニー少将が幕僚を連れて、都内白金の外相公邸で待っていた、吉田茂外相を訪れて、手交した。

 日本が戦争に敗れた2ヶ月後に、東久邇(ひがしくに)宮首相が退陣して、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相と交替して、吉田が外相に就任していた。

 ホイットニーは回想録のなかで、憲法案を読んだ「吉田の顔色が、黒い雲に覆われたように変わった」と述べている。
日本側の記録によると、この日は早春でまだ肌寒かったのに、吉田は冷汗をかいて、掌(てのひら)の汗をズボンでさかんに拭(ぬぐ)っていた。吉田の一行に随行していた外務省の通訳は、憲法案の内容を知って、恐怖のあまり口が動かなくなった。

 そのうえで、ホイットニーは、吉田たちに「この憲法案を受諾しなければ、総司令部として、天皇の一身の安全を保障できない」と、言い放った。天皇を戦争裁判にかけて、絞り首にするというのである。

 天皇を人質として脅迫されたから、日本政府として従わざるをえなかった。

 現行憲法は、兇悪な誘拐犯人によって脅されて、強要されたものだ。

 護憲派の面々は、現行憲法が理想主義を体現したものだといっている。だが、深い闇の憲法である。

 一日も早く闇を払い、光を取り戻そう。


  沖縄米軍報道に違和感 ヘイト・ジャーナリズムへの懸念
    Date : 2016/07/26 (Tue)
 沖縄県うるま市で、アメリカ軍の軍属によって、20歳の日本女性が殺害された。

 痛ましい事件である。日本の新聞や、テレビによって、連日のように大きく取り上げられている。オバマ大統領までが、この事件について陳謝した。

 地元の沖縄本島では、アメリカ軍を糾弾する島民集会があい次いで開かれ、6月19日には、那覇において6万5000人(主催者発表)が集まって、気勢をあげた。

 たしかに、痛ましい事件だった。しかし、私はマスコミが勢揃いして、あれほどまで賑々しく報道する必要が、いったいあるのだろうかと思う。

 沖縄県警の統計によれば、人口当りの殺傷罪、盗みなど刑事犯が占める比率は、沖縄県民が0.24%であるのに対して、沖縄県に駐留するアメリカ軍人、軍属は、その約5分の1の0.05%でしかない。

 この事件直後に、アメリカ軍の女子兵士が、酔って乗用車を逆走させ、衝突事故を起した。幸いなことに、死傷者がでなかった。

 このあいだにも、本土では殺人事件が続発した。警察官2人が酔っぱらって、乗用車を逆走させて、対向車と衝撃する事故が発生している。

 6月後半には、大型店で男性が包丁を振り回して、店内の客を無差別に刺して、1人が死亡、3人が重軽傷を負う、凄惨な事件も起った。

 6月20日に、テレビ朝日のニュース番組を見ていたら、レポーターが前日に集会が開かれた広い競技場を背景にして、集会が「深い怒りに包まれていた‥‥」とか、「県民の怒りは限度をこえた」と、連呼していた。

 いったい、本土で500人か、600人でも集まって、同じように痛ましい殺人事件を糾弾する集会が、1回でも開かれたものだろうか。テレビ朝日のレポーターがマイクを握って、「深い怒りに包まれていた」とか、「国民の怒りは限度をこえた」と、叫んだことがあるものだろうか。

 沖縄でこのような集会が行われるのは、政治的な目的があるから理解できるが、なぜ本土において、アメリカ兵による不祥事に対する怒りを煽りたてる必要が、あるのだろうか。

 今年に入ってから、ヘイトスピーチを禁じる立法が行われた。アメリカ軍の軍属が若い女性を襲って殺害したことは、いうまでもなく許すことができないことだ。

 だが、沖縄で起った事件を取り上げて、連日、大きく報道するのは、常軌を逸しているとしかいえない。これは、ヘイトスピーチ――あるいは、ヘイト・ジャーナリズムに当たるものだ。

 アメリカ軍が日本に駐留しているのが、けしからんというのならば、アメリカ軍がいなくても、日本が自分の力で国を守ることができる、精強な軍隊を持たなければならないと主張するべきだが、そうすることもない。

 日本には、常時、10万人あまりのアメリカ陸海空軍人があって、毎年、その4分の1あまりが交替している。毎年、2万5000人のアメリカ兵が帰米するとして、もし、日本においてアメリカ兵に対する人種差別が酷いと訴えられたら、「もう日本を守るのは、やめよう」という世論が、醸成されかねない。

 その時は、テレビ朝日のレポーターが高給を食んでいる職場をやめて、自衛隊に入隊してくれるのだろうか。


  新著のご案内
    Date : 2016/07/11 (Mon)
 今月、私の監修によって、『岸信介最後の回想 その生涯と60年安保』(勉誠出版)が、出版されました。

 帯に「岸信介こそ、戦後もっとも偉大な首相だった。アメリカが内に籠もり、日本は自立を強いられる。生誕120周年の今、36年ぶりに公開される談話によって、岸信介が蘇る」とうたわれています。

 監修のことばを、お読み下さい。


 本書は、岸信介首相(在職1957年〜60年)が、引退後、1980年に静岡県御殿場の自邸で、幼少時代からその日まで波瀾にとんだ人生を、2日にわたって振り返った、生まの声を録音した記録である。

 この岸元首相の回想は、今日まで発表されることがなかった。

 この時、聞き役となった、加地悦子夫人(当時・別府大学生活科教授)は、戦前、商工官僚だった岸氏宅の前に住んでいた縁で、岸氏に幼いころから可愛がられてきた。

 私は今年に入ってから、加地夫人から求められて、録音の速記録に目を通した。これまで語られたことがなかった、岸首相の信念とその人柄について、きわめて貴重な資料である
のに、驚いた。

 本年は、岸首相の生誕120周年に当たる。

 日本は対日講和条約によって、独立を回復してから64年になるが、それ以来、日本が歩んできた道が、はたして正しかったか、熟考しなければならない時を迎えている。

 私は岸首相が戦後の日本の歴代の首相のなかで、もっとも傑出した首相だったと、考えてきた。

 岸首相は1960年に日米安全保障条約の改定を、身命を賭して行った。

 吉田茂首相が1951年にサンフランシスコにおいて講和条約に調印した同じ日に、日米安全保障条約が結ばれた。

 ところが、この時の安保条約は不平等条約であって、アメリカ軍が日本に無期限に駐留することを認めていたが、アメリカが日本を防衛する義務を負っていなかった。

 アメリカ軍が対日占領の形を変えて、駐留を継続するようなことだったが、当時の日本には朝鮮戦争が勃発した直後に、マッカーサー元帥の命令によって創設した警察予備隊しかなかったから、仕方がなかったといえよう。

 岸首相は、日本を再び独立国家としようという、信念を燃やしていた。アイゼンハワー政権のアメリカと交渉して、安保条約を改正して、アメリカに日本を守る義務を負わせるとともに、両国の意志によって、延長をはかることができる期限を設けた。

 新条約は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」と呼ばれ、経済をはじめとする諸分野において、「相互協力」することがうたわれた。

 新条約は日米関係に新しい時代を、もたらすものだった。
 
 新時代を象徴するために、アイゼンハワー大統領が、戦後、最初のアメリカ大統領として訪日することになった。

 しかし、岸首相は安保条約の改正を成し遂げたが、朝日新聞をはじめとする大新聞や、野党などの左翼勢力によって煽動された反対運動によって、志なかばにして辞職せざるをえなかった。

 連日、数万人という左翼のデモ隊が、国会を取り巻き、機動隊と衝突してしばしば暴徒化した。

 アイゼンハワー大統領の訪日を準備するために来日した、

 ハガティ秘書を乗せた乗用車が、羽田空港を出ようとする時に、暴徒によって取り囲まれて、立往生する事態が起った。

 岸首相はそのために大統領が来日しても、安全を守ることができないという判断から、大統領の訪日を断らざるをえなくなり、その責任をとって辞職した。

 もし、あのような大規模な反対運動がなかったとしたら、日本の歯車が狂うことはなかった。

 戦後、米ソの冷戦による対決が終わると、中国が台頭することによって、日本を取り巻く国際環境はつねに厳しいものであり続けたが、日本はアメリカの保護に国家の安全を委ねて、安眠を貪ってきた。

 ところが、いまアメリカが世界秩序を守るのに疲れ果てて、内に籠ろうとしている。そのために、日本は好むと好まざるをえずに、自立することを強いられてゆこう。

 岸氏が日本が先の大戦に敗れてから、日本がどうあるべきか、日本の未来をどのように描いてきたのか、いまこそ、私たちは学ばなければならないと思う。

 私は速記録を整理していた5月はじめに、日本の保守派の思潮を代表する月刊誌の一つの『正論』の新聞広告を見て、暗然とした。

 「総力特集 迷走するアメリカ 日本を守るのは誰か」というものだった。

 テレビや、新聞は、ドナルド・トランプがアメリカのインディアナ州の予備選挙を制して、共和党大統領候補として指名されることが、ほぼ確定したと報じていた。

 民主党は同州の予備選挙で、バーニー・サンダース上院議員が勝った。ヒラリー・クリントン夫人の優位が動かないものの、サンダース議員が急追していることによって、十一月に誰が大統領として当選しても、トランプ、サンダースの主張が、来年からアメリカの進路に大きな影響を及ぼすこととなろう。

 日本は1952(昭和27)年4月に独立を回復してから、国家の安全をひたすらアメリカに縋(すが)ってきた。

 “トランプ現象”とは何か。1980年にロナルド・レーガンが大統領予備選挙に挑んだ時に、カリフォルニア州知事をつとめたことがあったものの、俳優あがりのシロウトだと嘲けられた。レーガンが「アメリカに朝を招こう(モーニング・イン・アメリカ)」と呼びかけた楽観主義者(オプティミスト)であったのに対して、トランプは悲観主義者(ペシミスト)だ。

 私はCNNのニュースで、トランプが集会で演説するのをみた。トランプはこう訴えていた。「アメリカは数百億ドルを投じて、イラクにつぎつぎと新しい小学校を造ってきたが、造るごとにテロリストによって、破壊されてきた。そのかたわら、(マンハッタンの隣りにある)ブルックリンでは、小学校の校舎が老朽化して、われわれの子供たちの生命を危険にさらしている。もはやアメリカは豊かな国ではない。アメリカの力をアメリカのなかで使おう」

 サンダースは、アメリカをスウェーデンや、デンマーク型の福祉国家につくり変えようとしており、アメリカを内へ籠らせるものだ。若い男女の圧倒的な支持を、獲得している。

 アメリカのヨーロッパ化が、始まっている。かつて、ヨーロッパは世界の覇権を握っていた。しかし、その重荷を担うのに疲れ果てて、内に籠るようになった。

 日本は独立を回復して以来、“吉田ドクトリン”のもとで、アメリカに国防を委ねて、経済を優先させる、富国強兵ならぬ富国軽武装の道をとってきた。

 アメリカが迷走をはじめた、という。しかし、日本がアメリカによって占領下で強要された「平和憲法」を護符(おふだ)として恃(たの)んで、これまで迷走してきたのではなかったのか。

 “トランプ・サンダース現象”は、オバマ政権がもたらしたものだ。アメリカは、オバマ大統領が「アメリカは世界の警察官ではない」と言明したように、世界を守る意志力を萎えさせてしまった。

 いま、日米関係が大きく揺らごうとしている。まさに日本にとって、青天の霹靂(へきれき)――はげしい雷鳴である。
日本は独立を回復してから、一貫して経済優先・国防軽視を国是としてきたが、「吉田ドクトリン」と呼ばれてきた。

 この“吉田ドクトリン”が破産した。「吉田ドクトリン」は、永井陽之助氏(当時、青山学院大学助教授)が1985年に造語した言葉だが、今日まで保守本流による政治を形づくってきた。

 私は吉田首相が講和条約に調印して帰ってから、政治生命を賭けて、憲法改正に取り組むべきだったと、説いてきた。吉田首相は正しい国家観を、欠いていた。旧軍を嫌ったために、警察予備隊を保安隊、さらに自衛隊として改編したものの、独立国にとって軍の存在が不可欠であるのに、今日でも自衛隊は中途半端な擬(まが)い物(もの)でしかない。

 吉田首相と岸首相を比較することによって、戦後の日本がいったいどこで誤まってしまったのか、理解することができる。

 私は監修者の序文を一人で書くよりも、吉田茂の優れた研究者である、堤堯(つつみぎょう)氏と対談して、巻頭に載せたいと思った。堤氏は月刊『文芸春秋』の名編集長をつとめたが、吉田首相が戦後の日本に対して果した役割を、高く評価している。

 この4月に、堤氏とテレビで対談を終えた時に、私が「誰が戦後の首相のなかで、もっとも偉いと思うか」とたずねたところ、言下に「もちろん、岸信介だ」という答が戻ってきた。本書のために対談を行ったが、多年の親しい友人であるために、話がしばしば脱線してしまい、結局、堤氏から私が一人で書いたほうがよい、ということになった。

 アメリカのダレス特使が、占領末期に対日講和条約の締結交渉のために来日して、吉田首相に「日本が再軍備しないでいることは、国際情勢から許されない」と、強く迫った。

 吉田首相はそれに対して、「日本は経済復興のために、国民に耐乏生活を強いている困難な時期にある。軍備に巨額の金を使えば、経済復興を大きく遅らせることになる。それに理由なき戦争にかり出された国民にとって、敗戦の傷痕がまだ残っており、再軍備に必要な心理的条件が失われたままでいる」といって、頑なに反対した。

 アメリカは、ダレス特使が来日した時に、日本を完全に非武装化した日本国憲法を強要したことを悔いていたから、独立回復とともに、憲法を改正することができたはずだった。
吉田首相が日本が暴走したために、先の戦争を招いたと信じていたのに対して、岸首相は日米戦争がアメリカによって、一方的に強いられたと考えていた。

 日本が戦った相手のフランクリン・ルーズベルト大統領の前任者のハーバート・フーバー第31代大統領は優れた歴史家として評価されているが、その回想録のなかで、先の日米戦争はアメリカが日本に不法に仕掛けたものであり、「ルーズベルトという、狂人(マッドマン)一人に責任がある」と、糾弾している。フーバーは占領下の日本を訪れて、マッカーサー元帥と三回にわたって会談したが、そう発言したところ、マッカーサーが同意したと述べている。(『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』藤井厳喜、稲村公望、茂木弘道著〈勉誠出版、2016年〉を読まれたい。)

 岸氏は敗戦直後に占領軍によって、A級戦犯容疑者として逮捕された。入獄する前に「名に代へてこの聖戦(みいくさ)の正しさを 萬代(よろずよ)までも伝へ残さむ」と詠んで、高校の恩師へ贈っている。

 堤氏は吉田首相が経済を優先して、富国軽武装の道を選んだのを、陸奥宗光(むつむねのり)外相が日清戦争後に三国干渉を受けて、遼東半島を清国に返還した時に、「他策なかりしを信ぜんと欲す」(『蹇蹇録(けんけんろく)』)と述べているのを引用して、アメリカの圧力をかわすための擬態だったと、語った。

 だが、軍を創建するのは、予算の問題ではあるまい。軍は精神によって成り立っている。独立国の根幹は、精神である。

 吉田首相は在職中に、憲法改正に熱意を示すことが、なかった。引退後も、口では憲法を改正すべきことを唱えたが、積極的に推進することがなかった。はたして擬態だったのだろうか。

 岸首相は1957年5月に、片務条約だった日米安保条約を改定するために、ワシントンへ向かった。

 吉田元首相は岸首相の滞米中に、毎日新聞に「訪米の岸首相に望む」と題して、寄稿している。

 「安保条約、行政協定の改正などについて意見が出ているようだ。しかし、私はこれに手を触れる必要は全然ないと信ずる。今までのとおりで一向差支えない。条約を結んだ以上は互いに信義をもって守ってこそ国際条約といえる。(中略)条約というものは、対等のものもあるが、不対等の条約もあって、それを結ぶことによって、国の利益になるなら私は喜んでその条約を結ぶ。下宿屋の二階で法律論をたたかわしているようなことで政治はやれない」(同年6月14日朝刊)

 岸氏は巣鴨刑務所から釈放されると、同志とともに、「憲法を改正して独立国にふさわしい体制をつくる」という旗印を掲げて、日本再建連盟を結成した。1953年に、吉田首相の自由党から衆議院議員選挙に当選すると、憲法調査会の初代会長に就任している。政界から退いた後にも、自主憲法制定国民会議会長として、全国をまわって憲法改正をすべきことを訴えた。

 岸首相は安保条約を改定して、アイゼンハワー大統領の訪日を成功させたうえで、憲法改正への道筋をつけることを、目論んでいた。

 岸首相は引退後に、「吉田氏の役割は、サンフランシスコ講和条約を締結したところで、終わるべきだった」と、述懐している。岸内閣が退陣した後は、池田勇人首相をはじめとする、いわゆる“吉田学校”によって政治が支配され、“吉田ドクトリン”のもとで、日本の迷走が続いた。

 日本の戦後は、“吉田ドクトリン”によって、律せられてきた。

 これまで、さまざまな機会をとらえて、「戦後が終わった」といわれてきたが、アメリカが超大国の座から降りることによって、日本にとって本当の意味で戦後が終わってしまった。

 私は1960年の安保騒動を、ジャーナリストとして、毎日、取材したが、後にその時の体験を、月刊『文芸春秋』に寄稿した。

 「国会を囲む道路は、熱狂して、歓声をあげながら行進する人々の長い列が、あふれるように続いた。歌声、ラウドスピーカーが叫ぶ声、林のように揺れる旗。作業服の動労の一隊が威勢よく声を掛けながら、駆け足で進んでくる。首相官邸の前の曲り角にくると、激しいジグザグ・デモに移り、何千という人数が渦を巻く。

 この見通すこともできない人の波は、朝からずっと切れずに続いてくる」

 岸首相が辞職すると、新しい安保条約が発効したというのに、安保条約の改定に対して国会を囲んで、あれほどまで荒れ狂ったデモが、まるで何ごともなかったように、沈静してしまった。まるで悪夢をみたようだった。

 反対運動は国民のごく一部にしかあたらない勢力によって、つくりだされたものだったのだ。

 私は「突然、新約聖書にある言葉を思い出した。『悪霊どもは、その人々から出て、豚にはいった。すると、豚の群はいきなり崖を駆け下って海に入り、溺れ死んだ。』」と、書いた。

 日米安保条約は、1970年に新条約の最初の期限を迎えるまでは、左翼勢力などによって動員された人々が街頭に繰り出して、反対することがなかった。

 いまでも左翼勢力は1959年から翌年にわたって、国会の周囲を占拠して狼藉(ろうぜき)のかぎりを働いた騒動を「安保闘争」と呼んでいるが、マスコミによって1970年の数年前から「70年危機」として喧伝(けんでん)されたにもかかわらず、ごく一部の撥ねあがった学生たちが新宿駅構内で騒ぎ立てただけで、拍子抜けしたものに終わった。

 これは、安保条約が改定された時から、日本国民の圧倒的多数が安保条約に反対する左翼勢力に組することが、まったくなかったことを、証している。

 2015年になって、安倍内閣が集団的自衛権の一部行使を認める安保関連法を成立させた。この時も、民主党や、共産党などの野党や、市民グループが、連日、国会を囲んで、デモや、集会を行った。朝日新聞や、大手テレビがさかんに反対するように煽ったが、またもや、“お祭騒ぎ”に終わった。

 私は国会の近くに、仕事場を持っている。そこで、何日か続けて国会周辺に出かけて、安保関連法案に反対して、「平和憲法を守れ」とか、「戦争法絶対粉碎」というゼッケンをつけた善男善女に、質問を試みた。すると、全員が現憲法も、安保関連法案も、読んだことがないと、認めた。

 堤氏は60年安保の全学連のリーダーだった、唐牛健太郎(かろうじけんたろう)氏と親しかった。堤氏によれば、唐牛氏は安保条約の条文を、一度も読んだことがなかったという。

 これから、日本はどうしたらよいのだろうか。

 日本は危険な世界のなかで生き延びるためには、急いで憲法を改正して、独立国としてふさわしい体制を、整えなければならない。なかでも、憲法第九条は日本の平和を守るどころか、日本の平和を危ふくするものである。(現憲法による戦後の呪縛について、田久保忠衛氏と私との対談による『日本国憲法と吉田茂』〈自由社、2017年〉を、お読みいただきたい。)

 いま、私たちは岸首相の再評価を行うことが、求められている。

 岸元首相は1987年8月に、90歳で没した。

 都内の青山葬儀所で葬儀が営まれ、中曽根康弘首相(当時)が弔辞を述べたが、今日読むと、故人の墓碑銘として、もっともふさわしいものだった。

 「真の政治家は、時流に阿(おもね)らず、自己を犠牲にして国家百年の大計を敢行しなければなりません。大きい志を遂げようとする政治家は、毀誉褒貶(きよほうへん)が大きくなるのは当然ですが、時代が経過すれば、かえってスケールの大きさ、底力の強さが明らかになります。自己の信念を忠実に全うする政治家は近来、少なくなっています。その点で、岸先生ほど信念に忠実に生きた政治家はいませんでした」


  ご主人にやさしくしてください
    Date : 2016/07/08 (Fri)
 5月に喜界島に講師として、招かれた。

 人口が7000人、車で一周して38キロ、砂糖黍が主な産業の南の島だ。

 ここで、奄美群島市町村議会議員大会が開かれて、300人あまりの議員が集まった。

 舞台の脇の垂れ幕に、「激動する国際情勢と日本の進路」という演題が書かれていた。

 私は開口一番、「もう40年以上も、今日いただいた演題でお話してきましたが、これから世界だけでなく、日本が激動することになります」と、警告した。

 アメリカが世界秩序を守ることに疲れて、日本を守る意志を萎えさせていると説明したうえで、日本を守るために日本国憲法を改めたいと、訴えた。

 質疑応答に移ったところ、50代の女性が手を挙げた。マイクを握ると、「現行憲法はアメリカが強要したものではありません。日本国憲法は世界に平和憲法として、知られています。この憲法を守ることによって、私たちの平和が守られます」と、述べた。

 私は「たいへん、よい質問をいただきました」と感謝してから、「まことに残念ですが、古(いにしえ)の昔から国際社会は悪の社会でした。自国を守る意志がない国は、例外なく滅ぼされてきました。ところで、テレビのニュースを見ると、このところ、DV――家庭内暴力によって、家族を危(あや)める事件が頻発しています。まず日本国憲法の精神を、家庭のなかで実現しましよう」と答えて、「今晩、お帰りになったら、ご主人にやさしくしてあげて下さい」と、お願いした。

 すると、質問した女性が「わたくしは、独身です!」と叫んだので、会場が拍手と爆笑によって包まれた。

 休憩ののちに、会場に机が並べられて、懇親会になった。

 議員の先生がたが列をつくって、コップに黒糖焼酎を注いでくれた。先の質問した女性が、徳之島の日本共産党の議員だと、教えてくれた。

 私は瓶を持つと、女性議員のところまでいって、お酌した。容姿が美しい人だった。よい質問をもらった礼を述べて、「この国を守るために、ご一緒に頑張りましよう」といって、握手を交わした。

 全国で憲法改正について講演することが多いが、しばしば、聴衆から「安倍内閣が中国を刺激しているのが悪い」とか、「日本の安全を外交努力で守れるはずだ」と、反論される。

 幕末に、日本はアメリカをはじめとする西洋列強から、不平等条約を強いられた。日本の独立を守るために、何としてでも不平等条約を改正しなければならなかった。先人たちは歯を食いしばって、血が滲む努力を重ねた。

 現行憲法はアメリカが占領下で、日本が再び自立することができないように押し付けた、憲法を装った不平等条約である。

 現行憲法を一日も早く改正しなければ、私たちは幕末から明治までの歴史を語る資格がない。


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